はじめに
いよいよ新年度に突入しましたね。歓迎会など、飲み会の機会も増える季節となりました。そんな飲み会の終盤で、参加者同士が「割り勘」の計算をしている風景もよく見かけます。
さて皆さんは、英語で割り勘のことをどう表現するのか、ご存知でしょうか? Dutch treat(ダッチ・トリート)と表現するのだそうです。直訳で「オランダ人のおごり」を意味します。
ここで注目したいのはオランダ人の位置づけ。どうやら英語話者には「オランダ人はケチだ」というイメージが根付いており、そのイメージがDutch treatなどの表現に反映されている――というのです。実際のオランダ人にとっては、不本意極まりない扱いかもしれませんね。
実は世界の割り勘表現の中には、Dutch treatのように「ケチなどのイメージを持つ誰か」を引き合いに出す表現がたくさん存在します。そこで今回は、世界で割り勘がどう呼ばれているのか、そこではどんな人々が引き合いに出されているのか紹介してみます。前後編で割り勘表現を紹介する記事の前編です。
国際的にはマイナーな文化
さて本編に入る前に、2つほど前置きが必要です。「割り勘文化が国際的にみてマイナーであること」と「割り勘のやり方には大きく分けて2つあること」の確認です。
まず割り勘がマイナーであることの確認から。多くの文化では、飲み会の支払いを行う場面で「社会的立場が上の人」または「飲み会に誘った人」がすべての代金を支払います。さらに言えば中東や中国のように、割り勘の提案が失礼にあたる文化すら存在します。総じて言えば、割り勘はマイナーな存在であり、割り勘=ケチというイメージも存在します。
もうひとつ確認したいのが割り勘のやり方。一般的なのは「全料金を均等割で支払う」方法でしょう。しかし割り勘のなかには「各自が飲み食いしただけの料金を支払う」方法もあります。実は国語辞典でも、以上の2つの方法を併記している辞書が少数ながら存在するのです(精選版・日本国語大辞典など)。
そして割り勘にせよDutch treatにせよ、それが前者・後者のいずれの支払い方法を表すのかは「文脈による」としか言えません。この使い分けを徹底的に分析するのも面白い試みなのですが、おそらく本が一冊書けるほどの分析になるはずです。筆者の手には余る作業なので、今回は「割り勘の支払い方法は主に2つある」という大雑把な理解だけ押さえておきましょう。これは、ここから紹介するすべての割り勘表現に共通するお話です。
英語の割り勘は「オランダ式」
では各国語の割り勘を分析してみましょう。まずは英語から。
冒頭で少し述べた通り、英語では割り勘のことをDutch treat、go Dutch、Dutch accountなどと呼びます。直訳で「オランダ人のおごり」「オランダ式でいく」「オランダ式の会計」という意味です。このうちDutch accountだけは、比較的に古風な表現であるようです。
これらすべての表現にDutch(オランダ人)が登場する点が、面白いところではないでしょうか? 17世紀後半にイギリスとオランダが3度に渡り戦った英蘭戦争の影響で、イギリス人の対オランダ感情が悪化。このことが英語におけるDutchの扱いに影響を与えたといいます。
道理で英語でDutchが登場する表現の中には、碌(ろく)でもない意味の表現が多いわけです。例えばDutch rub(オランダ式のこすりつけ)といえば握りこぶしを相手の頭にこすりつける悪戯(いたずら)のこと。Dutch courage(オランダ式の勇気)といえば酒を飲んだときのカラ元気のこと。またDutch reckoning(オランダ式の請求)といえば、明細不明の水増し請求を表します。
ともあれDutch treat、go Dutch、Dutch accountなどでいうDutchとは「ケチのイメージをオランダ人になすりつけるための言葉」だと言えそうです。実際のオランダ人も倹約上手とされているので、あながち間違ったイメージとも言い切れないのですが、「倹約家を自称する」のと「ケチ呼ばわりされる」のでは大きな違いがあります。何度でも書きますが、Dutch treatはオランダ人にとって不本意な表現かもしれません。
日韓にも伝わった「オランダ式」
ところで英語の割り勘は、他国語の割り勘表現にも影響を与えました。なんとその影響は韓国や日本にも及んでいるのです。
まず韓国の事情から。儒教文化の影響で割り勘が失礼とされている韓国においても、近年では若い世代を中心に割り勘の風習が少しずつ広まっているといいます。その際に用いられる言葉が「トチペイ」(더치페이)というもの。日本語風に表現するとダッチペイ(Dutch pay)となり「オランダ式の支払い」を意味します。これは和製英語ならぬ韓製英語ですね。
一方、日本にもDutch accountが流入しており、カタカナ語の「ダッチアカウント」となりました。広辞苑などの辞書もダッチアカウントの項目を設けています(なお広辞苑では2006年・平成18年発行の第6版以降「和製英語」と判断しいている)。
個人的に古い用例を調べてみたところ、大阪朝日新聞(現在の朝日新聞大阪本社版)の1942年(昭和17年)4月28日付けの記事に「それが世界に名高いダッチ・アカウント―直訳すれば“割勘”の本体だ」との記述も発見できました(神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」より)。
またかつてはダッチアカウントを略した「ダチカン」という俗語も存在していたようです。日本俗語大辞典(米川明彦著、東京堂出版、2003年・平成15年)にはダチカンの項目が立っており「割り勘」「ダッチ・アカウントの変化した形」とありました。
このように割り勘とオランダ人を結びつける考え方は、韓国語や日本語にも伝わったことになります。