はじめに
「この世の中、お金さえあれば何事も思うがままになる」。そういう意味のことわざに「地獄の沙汰(さた)も金次第」があります。地獄で受ける裁判も金次第で有利になるのだから、この世だってそうだ――との主張ですね。
ここで皆さんに質問です。「沙汰」とは何でしょうか?
「地獄の沙汰というぐらいだから、沙汰は裁判の意味じゃないの?」と思われるかもしれません。もちろんそれはそれで正解なのですが、ここで問いたいのは「沙汰はどうして裁判という意味なのか?」ということです。
そしてもうひとつ、付け加えて問いたいこともあります。常軌を逸した行いを意味する「狂気の沙汰」や、音信がないことを意味する「ご無沙汰」といった成句には、どうして「沙汰」が登場するのでしょうか。これらの成句と裁判はあまり関係ないようにも思えます。
今回は、謎の言葉「沙汰」について掘り下げましょう。この記事のテーマは「お金の言葉」。実は沙汰の語源に「経済的な話題」が隠されています。
沙の語源~水に洗われ小さく砕かれたもの~
まずは沙汰を「沙(さ)」と「汰(た)」のふたつの漢字に分けて、それぞれの語源を探ってみましょう。まずは沙から分析します。
沙は会意文字(意味どうしを組み合わせた漢字)のひとつ。偏(へん)の氵(さんずい)は、もちろん水を意味します。そして旁(つくり)の少は、少ないこと、小さいことを意味します。これを組み合わせた沙は、水に洗われて小さく砕かれたもの、すなわち砂(すな、sand)のことを意味します。例えば七夕(たなばた)の歌に出てくる「きんぎんすなご」(漆工芸の蒔絵に使われる金粉・銀粉のこと)は、漢字で金銀“沙”子または金銀“砂”子と書き表します。
そしてもうひとつ。沙という漢字には砂(sand)以外にも「よなげる」という意味があります。これは、悪いものを捨ててよいものを選り分けるという意味を表しています。ざるに細かいものを入れて、水中でゆする様子から言われるようになりました。この選り分ける意味が、沙汰でも中核的な役割を果たすことになります。
汰の語源~たっぷりと水を流す様子~
では一方の「汰」はどういう語源を持つのでしょうか。
汰も会意文字です。まず偏は先程と同じく氵(さんずい)なので水という意味。いっぽう旁(つくり)の「太」は、人が手足を広げた様子である「大」に余りを意味する「、」が加わった形をしており、「太」全体で「何かが余っている」様子を意味します。そして汰という文字は、基本的には「余るほどの水がある」「たっぷりと水を流す」様子を表しています。
これが転じて、汰も「水を流してなにかを選別する」という意味を持つようになりました。
余談ながら、汰が登場する沙汰以外の熟語に「淘汰(とうた)」がありますね。これも本来は「水で流してなにかを選別する」様子を表します。実はここで登場する「淘」(とう)という漢字自体も「何かを選別する」意味を持ちます。詳しい説明は省きますが「水入りの容器に手を入れて掬(すく)うこと」「そのようにして何かを選別すること」を意味しているのです。
つまり沙も、汰も、淘も「何かを選別する漢字」だったのです。
淘と汰が合体すると…?
ここまでの説明で、沙も汰も、水を流してなにかを選別する意味であることはご理解いただけと思います。従って、これらが組み合わさった「沙汰」もまた、水を流してなにかを選別することが本来の意味となります。
そのうえで、敢えて沙と汰の役割を分けてみるならば、沙の方が選り分けられる「砂」を表現しており、汰の方が選り分けに使う「水」を表現していることになるでしょうか。
さて問題は、沙汰が本来「何を」選り分けようとしていたかということでしょう。実は沙汰とは「米を研いだり」「砂の中から砂金を取り出したり」する作業を想定した漢字であり熟語だったのです。つまり雑多なものの中から、価値のあるものを取り出す作業を意味しているのです。
沙汰はその語源において、経済的価値と不可分の概念だったわけです。