この連載では以前、お金にまつわる「ことわざ」を紹介したことがあります。《地獄の沙汰も金次第》《金(かね)の貸し借り不和の基(もと)》などのことわざを例にして、ことわざが伝えようとする「お金との付き合い方」を紹介した内容でした。

今回の記事は、ことわざシリーズの第二弾。今度は商い(あきない)に関連することわざを紹介してみたいと思います。紹介する数々のことわざから、日本人の商人観・商売観が浮かび上がってきます。


商売の心得、商売人の心得

商売関係のことわざで最も存在感があるのが、商売・商売人の心得を説いた表現の数々です。仕入れ、資本、マーケティングなどのさまざまな側面から、その心得を説いているのです。

例えば仕入れに関するものでは《商い上手の仕入れ下手》ということわざがります。これは売るのは上手なのに、仕入れが下手である(つまり仕入れ価格が高い)ために利益をあげられない状況を指しています。

また資本に関するものでは《商いは本(もと)にあり》ということわざも。これは、商売の成功は元手にかかっていることを意味します。

そしてマーケティングに関することわざには《商いは門門(かどかど)》というものもあります。これは一人ひとりの客をよく見て、それぞれの客が求めている品物を売るのがよいという意味。現代でいうワントゥワンマーケテイング(One-to-One Marketing)に通じる考え方かもしれません。

このほかにも、商売は「長く続ける」こと、「数をこなす」ことがコツだと説くものもありました。例えば長期継続を説くことわざには《商い三年》や《商いは牛の涎(よだれ)》がありますし、物量(薄利多売)を説くことわざには《商いは数でこなせ》もあります。

このうち《商い三年》には《石の上にも三年》という、類似かつ有名なことわざもありますね。これは一般人の人生訓としても頻出します。長期継続は、商売に限らず人生においても、重要な心得なのかもしれません。

商いには向き・不向きがある

さて、商売は商売に向いている人が担うべき、という考え方があります。ことわざの中にも、この意味の表現がいくつか存在しました。

例えば《商人(あきんど)に系図なし》ということわざがあります。ここでいう系図とは家柄・家系のこと。つまり、商売人として大成するかどうかに家柄・家系は関係なく、その人自身の技量や努力次第なのだ――といっているわけです。

江戸時代に発達した数々の商家(一部は明治以降の財閥になった)については「世襲で家系を維持してきた」ような印象も持たれています。しかし商家の中には「商才のある番頭などを婿にとる」などの方法で、外部の才能をうまく取り込むところも少なくありませんでした。商いの向き・不向きに家柄・家系が関係ないことを、彼らは経験的に知っていたのでしょう。

一方、明治時代には《士族(しぞく)の商法》という表現も登場しました。士族とは明治維新によって職を失った武士のこと。このような人々が生活のためにさまざまな商売(たとえば団子屋・汁物屋・古道具屋など)を始めたのです。しかしその多くは慣れない商売に手こずってしまい、失敗に終わってしまいました。そういったわけで《士族の商法》もまた、商売の向き・不向きを語ったことわざなのです。