はじめに

「ス・マートパン」ができるまで。なぜ、藤野だったのか?

池辺夫妻は、子供が小学校に入学するタイミングの2006年に藤野に移住。理由は、子供に環境の良い場所でのびのび育ってほしかったことと、都市で消費し続ける生活に疑問を感じていたからだといいます。

「もし何か大ごとが起こってしまった時にも、しっかりと生きていける揺るがない力と環境をつくっておきたかった。そして子供にもそれを身につけてほしかったんです」と潤一さん。

藤野を知ったきっかけは、「温泉が好きで、当時住んでいた場所から一番近くの日帰り温泉があったから」。日帰り温泉に通ううちに、施設の壁に貼ってあるイベントの告知などを見て、通う頻度が増えました。

次第に知り合えも増え、「ここで暮らすのもいいかもね」と思うようになり、移住を決意したそうです。

移住者が増えている藤野

2007年に相模原市に編入され、2010年には市の政令指定都市移行により緑区となった旧藤野町は、1986年に「藤野ふるさと芸術村構想」を提唱し、長年アートによる町おこしを行ってきました。

1996年には“永続可能”な社会を目指す取り組みを広める「パーマカルチャー・センター・ジャパン」が設立され、2005年には、独自の芸術教育を行うことで知られるシュタイナー学園が開校。アートやものづくり、自給自足の生活に関心があり、都会の生活にないものを求める移住者を受け入れる土壌が整っていました。

こうした背景も手伝って、「藤野ぐるっと陶器市」や「ビオ市/野菜市」といったイベントも多く、外の人を惹きつける入り口となっています。

藤野地区の人口はおよそ9000人。正確な統計はありませんが、移住者の増加により、過疎による人口減少は緩やかになっているそうです。

ただ、やはり都会と同じようになんでも揃っているわけではありませんでした。

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