はじめに
大戸屋ホールディングスが苦戦している。品質の良い材料を使って家庭の味を提供する食堂として成長してきた大戸屋だが、五か月連続で既存店売上高が前年割れで、顧客数は継続的に前年同月比で▲2~4%の減少を記録している。
傾向を見ると一年前ぐらいから顧客離れの客数のマイナスを単価アップで凌いでいる状況が続いてきたが、半年前ぐらいからそろそろ単価アップにも限界が見えてきて、トータルで売上がマイナスに転じた様子だ。なぜこのような構造に陥っているのだろうか。
大戸屋の客離れが明確になってきた背景の構造は?
背景には昨年の秋ごろに「ちょい高ブーム」が転換点を迎えたことにあるようだ。ちょっとぐらい高くても「おいしいメニュー」や「安心できる食事」を選びたいという顧客ニーズがブームだったのだが、その頃から「やはり倹約をしなければ」という消費者の方が増えてきた。千円台の定食を定番にする大戸屋のメニュー構成が消費者の財布に合わなくなってきたのに、そこへの「対応が遅れてしまった」というのだ。だがこの「対応が遅れた」という言葉には注意が必要だ。経営陣が気づくのが遅れたのではなく、構造的に対応が「できない」状況に組織があるのだと考えたほうがいいと思う。
それはこういうことである。
大戸屋が陥っている構造を整理すると3つの側面がある。ひとつは消費者層の分断。ふたつめ「成功の復讐」という組織現象。そして三番目に内紛という問題が、大戸屋の低空飛行の背景にある。ひとつずつ構造を見て行こう。
消費者層の分断はトランプ大統領が誕生して急速に注目が高まっているアメリカ社会と同じだ。裕福で生活が安定している消費者層と、生活が不安定で収入が少ない消費者層、それがはっきりと社会の中で分かれている。
ちょい高ブームが終わった理由
平日の午後に帝国ホテルのブッフェに出かけてみるとわかる。顧客の大半は40歳から60歳ぐらいの女性客ばかりだ。何時間もゆったりと楽しそうに会話をしながら午後の時間を過ごしていく。ご主人が官庁や大企業の管理職で収入や地位が安定している。そのような立場の女性たちが帝国ホテルの昼間の「食堂売上」を支えている。一方で近隣の新橋一帯ではワンコインランチで昼を済ませる男性客が少なくない。そういった家庭の奥様も、昼はパートに出かけて家計を支えている。前者と後者の層は年々、収入面での格差が開いている。
「ちょい高ブーム」は後者の収入が低い消費者層が「手が届くぜいたく」を楽しもうと始めた経済現象だった。自分へのご褒美でコンビニスイーツのちょっと贅沢なものを買ったり、いいことがあった日はデパ地下の和菓子を買って帰ったり。そういった消費者が、夕食は『やよい軒』や『日高屋』ではなく、ちょっと贅沢に『大戸屋』で食事をしていた。
そのちょっとした贅沢が以前ほどできなくなってきた。アベノミクスが停滞を始めて、また民主党政権時代のように経済成長が鈍化してきたからだ。
だったら大戸屋もメニュー価格を下げればいいと思うのだが、組織には別のメカニズムが働くようになる。