はじめに

1000年以上の歴史で培われた土壌

豊岡鞄の歴史は1000年以上昔までさかのぼります。市の中心部を走る円山川の氾濫が作り出した湿地に生えていたコリヤナギを材料に、奈良時代から柳細工が発達。江戸時代になると、藩主が保護・奨励したことで柳行李の生産で栄えたといいます。


豊岡鞄を生んだ、豊岡市の柳細工

その後、素材が皮や人工皮革に変わってからも、1000年の歴史で培われた技術と、今も約1,000人がカバン産業に従事しているという職人の多さが引き継がれ、日本一のカバンの産地となりました。

一時は安価な輸入品などに押され、衰退しましたが、2006年に特許庁から登録商標に認定されたことをきっかけに、再び活性化。2014年には次世代のカバン職人を育成する学校「アルチザンスクール」を開設したほか、カバンの販売店や修理店が立ち並ぶカバンストリートにカバンの自動販売機を設置するなど、カバンを軸にした街づくりが進められています。

そんな日本随一のカバンの街で製造される豊岡鞄は、兵庫県鞄工業組合に所属し、組合が定めた基準を満たす認定企業によって生産され、厳格な審査に合格した優良品のみが名乗ることができます。定期的に審査を実施しており、時には5割の製品が不合格になることもあるといいます。

コウノトリのように飛躍できるか

それにしても、なぜ今回、KITTEに旗艦店を出すことになったのでしょうか。仕掛け人は、東京駅の内外で商業施設の開発・運営を手掛けているJR東日本の子会社、鉄道会館です。

同社は1月、日本各地の観光・商業資源を発見することなどを目的として「地域活性化プロジェクトチーム」を発足。4月には「地域価値発見グループ」へと改編し、日本全国の各地域と連携した取り組みを進めてきました。

その活動の中で、25歳の若手社員が探し当てたのが豊岡鞄でした。ただ、当初は兵庫県鞄工業組合にアプローチしたものの、組合としては出店できないという回答でした。粘り強く交渉した結果、メーカーが合同会社を設立して出店するという、現在のスキームに落ち着きました。


会見に臨んだ豊岡K-siteの植村代表(左から4人目)と鉄道会館の平野社長(同3人目)

合同会社の代表を務める植村賢仁さんは「初年度の売り上げ目標は8,500万円。月商が1,000万円を超えるようになれば、2店舗目も検討したい」と意気込みます。

鉄道会館の平野邦彦社長は「KITTEは日本のいろいろなものを紹介しようというコンセプトで運営しています。今後もいろいろなところとタッグを組んで、いろいろなことをやっていきたい」と、さらなる連携を模索します。

豊岡市は、円山川の湿地帯を中心に、コウノトリが住む街としても知られています。1971年に一度は絶滅してしまいましたが、絶滅前から進めていたさまざまな取り組みによって、今では再び140羽が飛び回るまでになりました。

同市の中貝宗治市長は、このコウノトリの現状に豊岡鞄を重ね合わせます。「コウノトリも豊岡鞄も豊岡の自然の中から生まれ、人々の努力によって復活しました。東京駅は出発の地。KITTEから全国へ、世界へと飛び回ってほしい」。多くの関係者の夢を乗せ、豊岡鞄は新たな巣立ちの瞬間を迎えようとしています。