はじめに

身分を問わず加速したウサギ投資

東京のウサギの品評会では、相撲の番付表にならって「東花兔全盛」という番付表も作成されました。

明治5年末頃に作成されたそれには100余名のウサギ飼育者が掲載されており、翌年に更新された際には327名に増えていました。記載された屋号から判断して、明らかにウサギ専門のブリーダーだと分かるのはわずか数人。大半は別の本業を持っていたようです。

たとえば鶏肉店や玉子屋が多かったことには興味を引かれます。

近世の日本人はウサギを「1羽、2羽」と数えて、鳥類と見なして食べていました。その流れから、自然とウサギを扱うようになったのかもしれません。毛筆にウサギの毛を用いる場合もあるので、筆屋が名前を連ねていることもうなずけます。

しかし、まったくウサギと関わらない職業の者も多かったようです。

紙屋、屋根・畳屋、漬物屋や八百屋などの食品商、織・染・履物屋、道具屋。なかには間借人であることが分かる名前もあります。その一方で、三井、鴻池、京極といった苗字も並んでいます。

日本で一般庶民が苗字の使用を許されたのは明治3年、苗字の必称義務が課されたのは明治8年です。時代からいって、番付表にならんでいる苗字の持ち主はかなり高い身分だったことが推測できます。貧乏人から大金持ちまで、身分を問わずにウサギに熱を上げていたのです。

余談ですが、明治4年の廃藩置県により、当時は華士族の財政状態が急変している時代でした。そのため目新しい商売に手を出す者も珍しくなく、簡単に儲かりそうなウサギは魅力的な投資先だったはずです。華士族による起業は、明治9年の俸禄廃止以降、加速します。

加熱するウサギバブルの収束

話を明治6年に戻しましょう。

番付表に並んでいる飼育者の名前は、全体のほんの一握りだったようです。当時の東京では、地域によっては一町内の半数以上の家がウサギを飼育している場合もあったようです。

高額で取引される以上、詐欺などの刑事事件も起きるようになりました。明治6年2月の『新聞雑誌』78号には、白いウサギを柿色に毛染めした男のことが書かれています。彼は2円の罰金、杖打ち60回、懲役60日の罪に処されたそうです。

また、同年4月の『新聞雑誌』93号には、ウサギ飼育者の主人と奉公人との間に起きた悲劇が記されています。

神田新石町に住む某人はウサギ売買で巨額の利益を得ましたが、(おそらくはウサギの世話をしていたはずの)奉公人には分け前を与えませんでした。そこで奉公人は自分でウサギ売買を始めるため、余剰金74円を奪おうと計画しました。ところが、盗みの現場を主人の妻に発見されてしまったようです。彼女を絞め殺そうとしたところを取り押さえられて、その奉公人は逮捕されました。

同誌同号には、ウサギによって起きた殺人事件のことも書かれています。

四ッ谷に住む某人は、ウサギ1羽150円での購入依頼を受けましたが、彼の父親が200円でなければ売らないと言ったために取引が成立しませんでした。ところがその晩、ウサギが急死してしまったために親子喧嘩となり、縁先から突き飛ばされた父親は庭の飛び石に頭を打って死亡したというのです。

業を煮やした東京府は、明治6年12月7日、ウサギ1羽につき毎月1円を徴収する旨の通達を出しました。さらにウサギの飼育者は役所の帳簿に登録されることになり、売買をした際には、その記録を提出することが義務づけられました。無届での飼育が発覚した場合、1羽につき2円の罰金が課されることになりました。当然、兔会は禁止されました。

これにより、ウサギのバブルは瓦解しました。

神田の大火はウサギ税が原因?

一度は40両の値段が付いた妊娠中のメスは、わずか5銭で売られるようになり、子ウサギは3銭という超安値になりました。奥羽などの遠方に何十羽ものウサギを売りに行く者も現れました。なかには処分に困り、土に埋めたり川に流してしまう者もいたようです。二束三文となったウサギを買い集めて、その毛皮で帽子や襟巻きを作る新商法も生まれました。大通りにはウサギ肉の鍋を出す屋台が登場しました。ウサギが可哀想です。

このような状況を風刺して、こんな狂歌が詠まれたそうです。

「去年の暮れ 餅をつきけり玉兔 今年の暮れは餅につきけり」

ウサギ税の徴収とそれによるバブルの崩壊は、当然ながら飼育者たちに手痛い経済的損失をもたらしました。多数のウサギを飼育していた者ほど顕著で、破産没落してしまう者も珍しくありませんでした。

そして明治6年12月9日未明、神田の大火が発生します。神田東福田町から出火し、日本橋までの約5700戸に延焼しました。これは2日前のウサギ税新設の通達を恨んだ者による放火だというウワサが流れました。ウサギへの投機熱は、ついに東京の町を焼き尽くしたのです。

こうして明治のウサギバブルは幕を閉じましたが、ウサギの飼育そのものは途絶えなかったようです。明治12年頃の新聞にも、「近頃ウサギの価格がまた上がっている」という旨の記載があります。ウサギ税を払える富裕層の間では、カネのかかる趣味として続いたことがうかがえます。

新しい時代のなかで一攫千金を夢見る人々のたくましさ。そして政府の豪腕な政策――。

ウサギバブルは、明治という混沌とした時代を象徴するようなエピソードだと思います。

■主要参考文献■
赤田光男『ウサギの日本文化史』
[1] http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/796451

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