人々に生きる指針を与え、他者とのつながりをもたらすものが「宗教」だとしたら、インターネットは私たちの時代の「宗教」なのでしょうか。

じっさい、そのような主張は過去にもいくつか見受けられます。そうした主張を振り返り、今の社会の「時代精神としてのインターネット」を考察してみます。インターネットは、宗教としてのいくつかの決定的な要素は欠いていますが、近年はサイバー・スピリチュアリティといった概念も出てきています。


新しい神の登場なのか?

その名も『インターネットは僕の宗教(The Internet is My Religion)』という書籍があります。これは、2015年に、アメリカ人男性ジム・ギリアム(1977-2018)が出版した自伝で、今もKindleで入手できます。

アメリカ西海岸の福音派キリスト教徒の家庭に育ったジムは、重い病を乗り越え、ネットで知り合った見知らぬ人たちに助けられているうちに、インターネットこそが自分にとっての宗教のようなものだったと述懐しています。この本は、特段ベストセラーになったわけではありせんが、ジムは2011年ニューヨークでの「個人民主主義フォーラム」会議にも登壇して、自己の体験を話しています。彼の自伝にはこうあります。

「インターネットは、キリスト教原理主義の地獄と、無神論という絶望から僕を救ってくれた。それは僕のいのちさえ救ったのだ。」

両肺の移植手術を受けるために、仲間たちがeメールで大学病院に働きかけてくれたり、また、どこかで死んだ見知らぬ人が最終的に肺や骨髄のドナーとなってくれたりしたことで自分が生きられている、ということを実感したジムは、次第に、神のはたらきとはつまり、互いにつながりあった人間同士のことなのだと思うようになったと言います。

「神というものは人間同士が結びついた時に起こる何かなのである」「インターネットとは神がかたちになったものであり、我々のつながりの表出であり、高度に結びついた人類の初期的な形態なのである。」

自分のスキルや才能を活かし、「神の国(理想の場)」を建設することを皆が目指せば、そこで協働する人々が「創造主」でもあるというのです。あまり一般的な用法ではないように思いますが、ジムはハッシュタグによく使われる「#」をインターネットを示す記号として使っています。

「僕は『#』を信じる。我々は神なのであり、インターネットは我々の救済者であり、そして我々の目的とは我々が望む世界を創造することだ。我々一人一人が創造主なのである……」

ここでいう「僕の宗教」の「宗教」とはどのような意味なのでしょうか。ジムはネット起業しましたが、今の時代の一人物がインターネットに救われて、生き方をそこから見出していく様子がこの本では語られています。つまり、ここで言う「宗教」とは、狂信的な人々が信じ込んでいる何かではなく、人間のライフスタイルや生き方を(明示的にか暗示的にか)示し、他者とのつなかりをもたらすもの。そんな意味が込められていると言えるでしょう。この自伝は「インターネット」を「マイ・レリジョン」だと断言したという意味で、興味深いメッセージだと言えます。

では本当に、インターネットは我々の時代の「宗教」と呼べるのでしょうか。