はじめに
ネットが変えたスピリチュアルなつながり
インターネットそのものが新しい、宗教的な何かなのではないか、という発想自体は以前からあります。
日本でも、宗教社会学者の伊藤雅之が、早くも2003年に「ネット恋愛のスピリチュアリティ」という論考を書いています(『現代社会とスピリチュアリティ』渓水社、所収)。
メール交換で始まるネット恋愛(当時)は、実際に会った時に落胆する場合も多いものの、時には、「内的成長を助けてくれるような、特別な存在と自己との真摯なつながり」をもたらす「魂の付き合い」になる可能性を秘めている、と伊藤は論じました。それはいわゆる「宗教」とは言えないものの、非日常の世界にまだ見えないつながりを求めるという意味では「スピリチュアルなつながり」になりうる、としています。
近年は、主にアメリカにおいて、インターネット使用と宗教行動との関係についての研究も出てきています。2014年に、コリン工科大学のアレン・B・ダウニー教授は、アメリカではインターネットを長時間使っている人ほど、宗教団体に所属する率が低くなる、ということを統計データを用いて発見しています。
2017年には、facebook CEOのマーク・ザッカーバーグが、新しいミッション・ステートメントにおいて「facebookは新しい教会だ」と言ったということが、ニュースの見出しとなりました。
その声明文 をよく読むと、ザッカーバーグは直接「facebookは教会だ」と断言しているわけではないのですが、さまざまな集団への参加率が低下している現代において、SNSを通じて人々のつながりを回復させることを目指すと述べ、共同性のあり方として、よい教会には、メンバーの面倒を見る優れた聖職者(リーダー)が居るといったことなどに言及しているために、そのような見出しになったようです。
もっとも、少し検索してみると「インターネットは宗教」というよりも「グーグルは神である」といった言説のほうを多く目にすることがわかります。なるほど、古今東西の知を、言語や時代を(ある程度)超えて集積したシステムは、全知全能の神のイメージに近いのかもしれません。ニューヨーク大学のスコット・ギャロウェイ教授(マーケティング論)は、ベストセラー『GAFA:四騎士が創り変えた世界』(邦訳、東洋経済)において、次のように述べています。
「グーグルは現代人にとっての神であり、我々の知識の源でもある……我々がどこにいてどこへ向かう必要があるのかを確信を持って教えてくれる……何にでも答えてくれる。/グーグルほど全知全能の神として信用されている機関はほかにない。」「私たちが本能的に最優先するのは生き続けることだ。神は安全を与えてくれる存在であるが、そのために人は行いを正さなくてはならなかった。神に保護と疑問への答えを求めるために、許しを乞い、断食し、自分を棒で打ちつけた……いまはただ検索フィールドに疑問を入力すればいい。」
こうした一連の議論を、どうとらえればよいのでしょうか。インターネットは確かに旧来のつながりに代わる新しいつながりのあり方を我々に提供しています。それは#MeTooなどの運動から、つかの間の恋愛に至るまでさまざまです。SNSの流行は、つながりのツールとしてのインターネット利用をさらに加速させました。インターネットは、「共同体を形成する」といった宗教の機能の一部は代替していると言えそうです。