生活

なぜ日本は経済大国になれたのか(前編)――アヘン戦争の衝撃

簿記の歴史物語 第37回

富国強兵とは言うけれど……

江戸時代が終わった19世紀半ばの日本は、貧しい低開発国でした。いわゆる「マルサスの罠」に陥ったため経済規模に対して人口が過剰で、賃金水準は低く、イギリスのように資本(=機械)の利用を増やしても利益を出せませんでした。

それどころか近代的な銀行さえ存在せず[2]、起業家は充分な資本を調達できない状況だったのです。さらに国内は藩に分かれており、物や人、お金の移動は制限されていました。加えて、欧米諸国と不平等条約を結ばされてしまったため、関税によって国内産業を守りながら育成することもできませんでした。

これほどのハンディキャップを負った状況から、明治政府は「富国強兵」を唱えたのです。

江戸末期の日本経済を考えれば、それは無謀とも呼べる挑戦でした。唯一の希望は、江戸時代の長い平和からもたらされました。おそらく武術よりも商業的な能力が重視されるようになっていたからでしょう。

農業が中心の社会であるにもかかわらず、教育水準が高かったのです。1868年の時点で男子の43%、女子の18%が寺子屋に通っており、成人男性の識字率は50%を超えていました[3]。

この教育水準の高さは明治政府によってさらに推進されます。新政府は早くも1872年(明治5年)には「学制」を公布し、全国に小学校を作りました。欧米のような工業化を果たすには、教育が重要であることを理解していたのです。

また「学制」に先立つ1871年、明治政府は新通貨「円」を発行し、廃藩置県を行いました。こうして日本は1つの経済圏として統一されます。

加えて明治政府は資本の不足にも気付いており、銀行の設立を許可します。が、銀行制度が確立されるまでには半世紀を要しました。その間、政府自身がいわばベンチャー投資家として活動することで、起業家にお金を工面しました[4]。

残る問題は、関税で国内産業を守れないことと、そして何よりも賃金の安さでした。当時の日本企業は機械を導入しても利益を出せない状況で、欧米の近代的な工場で大量生産された製品と競争しなければならなかったのです。

賃金の安い場所で工業化を進める方法

今も昔も、格安の労働力は技術革新の足かせになります。研究開発や設備投資にお金を投じるよりも、労働者を増やしたほうが利益を出しやすいからです。明治の日本人はこの問題に独創的な方法で対応しました。西洋の技術を作り替えて、日本でも利益を出せるようにしてしまったのです[5]。

たとえば築地製糸場で使われていた「諏訪式繰糸機」は、女性が1人で煮繭から繰糸までを行える[6]西洋式の機械でした。が、フレームには木材や竹材が使われており、蒸気機関ではなく人力でクランクを回して動かしました。金属製の機械よりもずっと安価だったのです。つまり、少ない資本でも導入できる機械であり、賃金の安い当時の日本でも利益を出すことができました。

臥雲辰致(がうん・たつむね)は日本のハーグリーヴスとも呼ぶべき発明家です。

彼は「ガラ紡」という綿糸の紡績機を発明し、第1回内国勧業博覧会では絶賛とともに最優秀賞を受賞しました。ガラ紡はジェニー紡績機と同様、人力で動かす装置です。それまでの手紡ぎ車に比べて数十倍の生産力があり、ハンドルを回すときの音からこの名前が付きました。

ガラ紡は構造が単純で、各地の大工でも簡単に模倣することができました。つまりは格安の機械だったのです。だからこそ当時の日本でも広く普及しました。もっとも、あまりにも模造品が広まってしまったため、臥雲辰致は生活に困窮してしまいます[7][8]。

当時のインドも賃金の安さが災いして工業化が進まない地域でした。イギリス式の工場では、まったく利益を出せなかったのです。インドの工場は、当時のイギリスと同様、1日11時間操業していました。ところが、当時の日本人は11時間2交代制を採用しました。そうすることで、機械を実質半額で利用できると気付いたのです。

こうした工夫の積み重ねで、日本の近代工業は離陸し、着実な経済成長を始めました。20世紀に入るころには日本の綿紡績は世界でもっとも安価になり、他国との市場競争に勝利します[9]。

そして太平洋戦争が始まる頃には、日本は巨大な戦艦を建造し、高性能の戦闘機を製造できる工業国になっていました。1870年には737ドルだった1人あたりGDPは、1940年には2874ドルに増加しました。江戸時代の停滞状態から比べれば大躍進です。(※ 1人あたりGDPとは、GDP(国内総生産)をその国の人口で割ったもの。人口の大きい国ではGDPも大きくなるので、GDPの総額だけでは1人あたりの「豊かさ」は分かりません。そのため、国民の生活水準などを推測する際には1人あたりGDPを用います)

とはいえ、この期間の経済成長は年率にすれば約2.0%にすぎません。もしも1950年以降も同じ成長率だったとしたら、アメリカの豊かさにキャッチアップするのに327年を要した計算です[10]。

しかし日本と欧米先進国との生活水準の格差は、1990年までには解消されました。これほど短期間で追いつくことができたのは、戦後の爆発的な経済成長があったからでした。
 
いったいどうして、戦後日本は経済的先進国の仲間入りを果たすことができたのでしょうか?
 
後編ではその謎に迫ります。

■参考文献■
[1]ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』ハヤカワノンフィクション文庫(2016)下p96
[2]ロバート・C・アレン『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』NTT出版(2012年)p163
[3]ロバート・C・アレン(2012年)p160
[4]ロバート・C・アレン(2012年)p164
[5]ロバート・C・アレン(2012年)p165-166
[6]岡谷蚕糸博物館「諏訪式繰糸機」
[7]国立公文書館‐公文書に見る発明のチカラ「臥雲式綿紡績機械の発明(臥雲辰致)」
[8]国立国会図書館‐博覧会 近代技術の展示場「臥雲辰致出品の綿紡機」
[9]ロバート・C・アレン(2012年)p166
[10]ロバート・C・アレン(2012年)p169

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