はじめに

各地に新興市場が誕生

JASDAQの取引所登録から少し前の2000年前後には、インターネット関連の高成長期待企業の登場に加え、金融ビッグバンが引き金ともなって、様々な新興市場が生まれていました。

JASDAQに先立ち産声を上げたのは、大阪証券取引所では新興市場のナスダック・ジャパンです。米国のNASDAQを運営するナスダック・ストック・マーケット(現NASDAQ・OMXグループ)と孫正義社長率いるソフトバンク(現、ソフトバンクグループ)が折半出資により、ナスダック・ジャパン・プランニングを設立。大阪証券取引所と提携し、2000年5月、「ナスダック・ジャパン」の名称で、大阪証券取引所に新興企業向けが開設されました。

ナスダック・ジャパンの特徴は、上場審査基準が2つに大別されていた点です。収益性や資産性を有し市場性の見込める企業を対象とするスタンダード基準と、潜在的な成長性を有し市場性の見込める企業を対象とするグロース基準(ベンチャー基準)です。株主であるソフトバンクが、子会社を次々と上場させていく時価総額経営の後押しもあって、ナスダック・ジャパンの上場銘柄数は次第に膨らんでいきました。

新興市場に対する関心の高さは東京証券取引所も同様で、1999年11月に東証マザーズ市場を開設しました。第1号の上場は同年12月であり、JASDAQ、ナスダック・ジャパンに先んじたIPO(新規上場)の達成は、日本のおける最大の取引所であるところのプライドが窺えます。

こうして日本の新興市場は、中国の三国志の如く、東証マザーズ、JASDAQ、ナスダック・ジャパンが鼎立することになり、有望なIPO企業の誘致に凌ぎを削るようになります。

苦境に喘ぐ新興市場

順風満帆に見えた国内新興市場ですが、数を優先するあまり、中身が伴わないIPO企業も少なくありませんでした。不祥事などからIPO後に、程なくして上場廃止を強いられた企業も散見された上、ITバブル崩壊や株安が逆風となり、IPO企業数が伸び悩むこととなります。

収益の低迷により、ナスダック・ジャパンは2002年10月、開設から2年あまりで日本市場から撤退し、取引所の業務は大阪証券取引所が単独で継続、2002年12月に市場名をニッポン・ニュー・マーケット・ヘラクレス(通称、ヘラクレス)へと改称しました。

新興市場同士の競争も激しくなり、独自性を打ち出すためもあって、JASDAQは2007年8月に、新興企業向け市場としてJASDAQ NEOを開設しました。前述した札証アンビシャス、名証セントレックス、福証Q-Boardを交え、日本の新興市場は乱立の様相を呈しました。

IPO企業数はなおも減り続きました。伸びきったゴムが縮むが如く、増えすぎた新興市場は縮小に向かいます。2008年12月、大阪証券取引所はJASDAQにTOBをかけ、子会社化します。2010年10月に、JASDAQ、JASDAQ NEO、ヘラクレスの3市場が統合され、(新)JASDAQ市場が開設されました。旧ヘラクレス・スタンダードと旧JASDAQはJASDAQスタンダードに、旧ヘラクレス・グロースと旧JASDAQ NEOはJASDAQグロースに移行しました。

さらに2013年7月には東京証券取引所と大阪証券取引所との現物取引市場の統合により、JASDAQも東京証券取引所に機能を統合されることになりました。

このような歴史を経て、東京証券取引所の傘下に、東証JASDAQスタンダード(ヘラクレス・スタンダード+JASDAQ)、東証JASDAQグロース(ヘラクレス・グロース+JASDAQ NEO)、東証マザーズという新興市場群が収められているのが現在の姿です。

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