はじめに

「簿記」というと、狭義には「複式簿記」を指します。資格試験のために勉強するのは、こちらです。複式簿記とは何ぞや?と思ったら、この私、Rootport原作のマンガ『女騎士、経理になる。』を読んでいただけるとうれしいです。

一方、広義の「簿記」は、経済的な取引を記録する手法全般を指します。小学生のお小遣い帳や、みなさんが心を砕いている家計簿も、広義には簿記と呼べます。日本の政府や役所は集めた税金とその使い道を記録していますが、これも広義には簿記です。これらは「単式簿記」と呼ばれます。とにかく取引を帳簿に付けていれば、それは簿記なのです。

では、広義の「簿記」はいったいいつ頃生まれたのでしょう?

「簿記の歴史物語」を謳うなら、まずはここから話を始めなければなりません。ところが、簿記の成立史を追っていくと、文明誕生の時代までさかのぼってしまいます。


メソポタミア文明のトークン

19世紀後半から20世紀半ばにかけて、メソポタミア文明の考古学研究は黄金期をむかえました。言わずと知れた、人類最古の文明の一つですね。すばらしい工芸品や彫刻と共に、粘土製のトークン(※おはじきのようなもの)が大量に出土しました。円錐形や円柱形など、形状はさまざまで、なかには座薬のような形をしたものありました。

これらトークンの使い道について、考古学者は首を捻りました。「子どものおもちゃ」「お守り」「ボードゲームの駒」等々、諸説入り乱れていましたが、真相は謎のままでした。

しかし1970年代、フランスの考古学者デニス・シュマント=ベッセラは、これらのトークンが「数の勘定」に使われていたことを突き止めました[1]。各トークンは穀物や家畜を表しており、それを数えることで財産を記録していたようなのです。

たとえばトークンを棚から棚へと移動させれば入出庫管理ができます。棚にあるトークンを数えれば在庫計算ができます[2]。現代とはかなり違いますが、これも一種の「簿記」と呼べるはずです。

メソポタミアの人々は都市国家をつくったことで、経済的な記録を取る必要に迫られました。どこの農地からどれだけ収穫があるのか分からないと、うまく徴税できません。そこで、彼らは粘土製のトークンを発明しました。粘土製のトークンは基本的な考え方が変わることなく、何千年も使われたようです。

紀元前3100年ごろ、メソポタミアのウルクで大きなイノベーションが起きます。トークンそのものを使うのではなく、湿った粘土板にトークンを型押しして数を記録するようになったのです。

粘土板だけを保管しておけば、トークンは不要です。型押しの仕組みが一般化すると、今度はトークンそのものが使われなくなっていきました。さらに、型押しもやがて簡略化されていき、粘土板に葦のペンで記号を書き込むようになりました[3]

すなわち、文字の誕生です。

粘土板の利用は、在庫管理や徴税記録にとどまりませんでした。紀元前2800年ごろには不動産取引が記録されています。紀元前1754年ごろに成立したハンムラビ法典には、粘土板による契約書なしに所有権を移転させると、受け取った側は盗人になると記されています[4]

人類が記録を残すようになったのは、歴史や詩、哲学を記すためではありません。経済的な取引を残すために、私たちは記録のシステムと文字を発明しました。

さらに注目すべきは、これがお金──金属製の硬貨──が発明されるよりも、ずっと以前の出来事だということです。

貨幣としての硬貨が登場したのは、紀元前7世紀ごろのリディア(※現トルコ領)というのが、西洋では定説になっています[5]。それよりもはるか古い時代から人々は「簿記」を使って取引をしていました。

お金よりも先に文字があり、文字よりも先に簿記があったのです。

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