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消えた夜行列車、「サンライズ瀬戸・出雲」が残った理由

始発列車よりも早く東京に着く

夜を徹して走る夜行列車は、かつて日本全国を走っていました。それはたんなる移動手段であるだけでなく、独特な旅情を醸し出すものでもあったので、小説や映画の舞台にもなってきました。

ところが現在、日本の鉄道では、毎日運転している夜行列車が2列車しか残っていません。東京~出雲市間を結ぶ「サンライズ出雲」と、東京~高松間を結ぶ「サンライズ瀬戸」です。どちらも「サンライズエクスプレス」と呼ばれる電車で運転している寝台車中心の特急列車(寝台特急)で、ルートが重なる東京~岡山間では双方の列車が連結して走っています。

ではなぜ、これら2列車だけが残ったのでしょうか。それは、交通や社会の変化によって夜行列車の利用者が減ったのに対して、2列車だけが比較的安定したニーズに支えられたからです。

ここでは、夜行列車の歴史をたどりながら、その背景をあらためて探ってみましょう。


1970年代には廃止の検討が

そもそも夜行列車は、かつては長距離移動に欠かせない存在でした。交通インフラが今ほど整備されていなかった時代には、長距離移動手段が鉄道に限定されることが多かったからです。

また、かつては今よりも宿泊施設が少なく、宿泊費も割高だったので、睡眠時間を移動時間に充てられる夜行列車は、時間や費用を有効に使えるという点で便利な存在でした。

ところが1960年代になると、夜行列車に陰りが見られ始めました。国内の道路網や航空網、そして新幹線網が整備され、夜行列車よりも短時間で移動できる手段が増えたことが、大きな要因です。

また、全国各地にビジネスホテルがつくられ、価格競争によって宿泊費が値下がりすると、出張先で宿泊することが一般的になり、夜行列車を利用するメリットが薄らいでしまいました。

つまり、時代の変化によって、夜行列車は事実上役割を終えることになったのです。1970年代には、国会で夜行列車の廃止が議論されたこともありました。

好調だった「出雲」「瀬戸」

一方、JRの前身である国鉄は、一部の夜行列車の車内設備を改良して、利用者減少に歯止めをかけ、延命を図ろうとしました。夜行列車の廃止によって、旅客が他交通にシフトして鉄道全体の利用者が減ることを危惧したからです。

1980年代後半にJRが発足すると、寝台特急「北斗星」などの豪華寝台特急が誕生して人気を博し、夜行列車が一時的に息を吹き返したように見えました。当時は空前の好景気と、青函トンネルの開通という大きな出来事が重なったこともあり、北海道と本州を結ぶ豪華寝台特急は、車内設備やサービスの質の高さが注目され、時代が求めるニーズを見事につかみ、多くの人に支持されました。

北斗星
2015年に運行を終了した北斗星

ところが1990年代以降は、豪華寝台特急でさえも利用者が減少し、夜行列車が次々と廃止されました。豪華寝台特急の人気が下火になった背景には、バブル崩壊で節約ムードが蔓延したことや、価格競争による航空運賃の実質的な値下げによって海外旅行が身近なものになり、レジャーが多様化したことなどが関係しています。

先述した「サンライズ出雲」や「サンライズ瀬戸」の運転が始まったのは、そのころでした。これら2列車の前身である「出雲」と「瀬戸」は、寝台特急のなかでも比較的安定したニーズがあり、環境が恵まれていました(JR社員の論文より)。

そこでJRは、運転を継続する意味があると判断し、「出雲」と「瀬戸」の車両更新に踏み切りました。プライバシーに配慮した個室寝台中心の寝台電車を新たに開発して、古い客車(ほとんどの寝台が開放式)を置き換え、新時代のニーズに対応したのです。

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