はじめに
誰も市場にいなくなる?
さあ、話を「消費者金融の金利問題」に戻しましょう。ここにも、「情報の非対称性」と「逆選択」の問題が絡んできます。
消費者金融の市場における「情報の非対称性」とはなんでしょうか。それは、お金を貸す側と借りる側の間にあり、重要になるのは「返済能力」ないし「貸し倒れリスク」に関する情報です。
もし、お金の貸し手が借り手の返済能力を熟知しているなら(「情報の非対称性」がないなら)、その貸し倒れリスクに応じて金利を設定するのが適切です。信用がおけて、確実な返済が期待できる借り手に対しては金利を低く設定して、次も借りてくれるようにするでしょう。
逆に、返済能力に不安がある人には高い金利を要求するのが自然です。報酬として高い金利を受け取れるのであれば、一定のリスクをとって貸す。借り手も、融資を断られるよりは、それを受け入れることがいい場合もあるでしょう。
対して、貸し手に借り手側の情報がない、つまり「情報の非対称性」がある場合を見てみます。
この場合貸し手は、借り手の返済能力がわからないため、「貸し倒れリスクが高い人用」と「低い人用」の「中間の」金利を設定するしかないことになります。するとどうなるでしょう。
設定された「中間の」金利は、返済能力の高い人にとっては高すぎる金利になります。当然、「じゃあ借りなくていい」と市場からいなくなりますね。結果としてこの市場に残るのは、返済能力が相対的に低い人、ということになります。
ここでも「逆選択」が起きました。
こうなると、貸し手にとってはリスクが高まるので、市場に残った返済能力が低い人向けに、金利をさらに高めに設定するようになります。するとその金利は、「残った人たちのなかで相対的に返済能力が高い人」にとって高すぎる金利となって、その人たちも市場から去ります。そして残った人たちに対して……。
もうおわかりですね。これが消費者金融の金利が高いままである理由なのです。このことについて西教授はこう言っています。
この問題を解決するには「情報の非対称性」を解消することが必要であり、そのためには借り手の返済能力に関する審査を強化することが重要になります。ただ現実は(テレビのCMでご覧のように)それとは逆の方向に行っているように思われます。その結果、予想される通り、金利は非常に高い状態が続いています。
(112~113ページより)
「市場まかせ」に要注意!
話は消費者金融市場にとどまりません。考えてみると、私たちは「情報の非対称性」に囲まれて生活しています。
スーパーに並んでいるスイカが甘くて美味しいかどうかは買って食べてみないとわかりませんし、魚だって新鮮かどうか、ふつうの消費者には判別がつきません。消費者は自分なりに情報を収集して、買うか買わないかを決めますが、あまりにも情報が不足していると買うことができません。
つまり、中古車市場の例でも見たように、「情報の非対称性」を放置していると買い手がお金を出さなくなり、活発な経済活動が行なわれなくなる、という状況を招いてしまうのです。それは社会にとって損失と言えます。西教授はこのことに関連して、冒頭に紹介したジョージ・アカーロフの言葉を引用しています。
したがって(品質について)不正直であることのコストは、それによって消費者がだまされる分だけでなく、それが正当な商売を駆逐してしまうことによって(社会的に)失われるものを含んでいるのである(ジョージ・アカーロフ「“レモン”の市場」)
(117ページより)
また、「見えざる手」で有名なアダム・スミスも、重要産品だった毛織物の品質保証を「政府の役割」である、としていたそうです。市場経済が活発に動くためには、市場にまかせるだけでなく、政府による質の保証を通じた「情報の非対称性」の解消が必要だと、考えていたんですね。
このように、「情報の非対称性」という概念は、市場経済における売り手や買い手、また国や第三者的な機関の動きや役割など、現実の社会で起こっていることに対する「ものの見かた」を提供してくれます。
『社会を読む文法としての経済学』で西教授は、このほかに「機会費用」や「外部性」「合成の誤謬」「予想の自己実現」など、9つの経済学の概念(キーコンセプト)を解説しています。これらは、社会で起きているさまざまな出来事を読み解く「目の付け所」のようなものです。
「経済学なんて役に立たない!」と思っている方も、一読すれば、社会の見え方がガラッと変わるかもしれません。
『社会を読む文法としての経済学』西孝 著
機会費用、外部性、短期と長期、情報の非対称性、合成の誤謬など9つのワード(用語)をコンセプト(概念)にまで鍛え上げれば、アベノミクス、トランポノミクスなどの経済ニュースも霧が晴れるように本質が見えてくる。純“文系”のための新しい経済学入門。