はじめに
7月下旬に公表された、国際人権団体・ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)の調査報告書『数え切れないほどたたかれて』。本調査は、スポーツ指導の場で半数以上が子ども時代に暴力を受けていたことなど、日本におけるスポーツ教育の場での暴力・虐待の実態を明らかにしました。
調査に協力した団体、国際的なスポーツ選手の労働組合「World Players Association/世界選手会」の理事で、スポーツ選手の権利保護に詳しい山崎卓也弁護士に、前編に引き続き、日本はどう対策すべきか、また子どもをスポーツエリートにすることの本質的な問題について聞きました。
違反してもすぐに罰則を課さない
――日本においてスポーツ指導の暴力・セクハラをなくすには、相談窓口や罰則の設置以上に、「なぜそれらを設置するのか」という根本的な価値観の共有、そのための対話が最も重要とのこと(前編)。他の国では?どう対策を?対話しているのですか?
ノルウェーのオリンピック委員会の人に話を聞かせてもらったのですが、11歳までは国際大会には出してはいけない、ランキングもつけないルールにしたそうです。けれども、抜け道を探して国際大会に出すケースが必ずある。そうした時も、すぐ制裁を課すのではなく、まず対話するのだそうです。なぜこういう制度にしているのかを改めて説明し、話し合う。
また、昔は競技団体のリーダーになる人はお金持ちだったり、権力を持つ人が力づくでリーダーシップを発揮していくことが多かった。今もその傾向が全くないわけではありません。しかし、スポーツのようにステークホルダーの多い産業では、時代の要請から、多くの人の話をよく聞き、連携ができる人の方が出世するようになってきました。
私もFIFAなどさまざまなスポーツ団体に関わっていますが、近年、そのような人格の優れた人が出世していく姿を見て、21世紀型のリーダーシップのあり方をよく考えさせられます。周囲と連携するのは、日本人は本来得意なはず。人の話しを聞く「傾聴」に優れています。ただ今は縦社会の中で、その傾聴がいきすぎて、意見を戦わせるというか、意見を交換することが苦手になってしまっている。
――なるほど。「日本が遅れているかというとそう単純でもない」(前編)とのことでしたが、確かに欧米の巨大なスポーツビジネスの世界は、本当の意味で進んでいるのか?と疑問を感じることはあります。非常に競争が苛烈だったり、街まるごと、たった一つの大学の学生スポーツだけで経済が回っていたり。
スポーツの商業化が著しく進んでしまった国は、むしろ矛盾だらけです。アメリカも2016年にラリー・ナサール*の件があって、ようやくスポーツ指導の虐待の問題が表沙汰になりました。対策に乗り出したのは、本当につい最近のことです。
※注)長年、体操の米・女子代表選手のチーム・ドクター(整体)として働くなかで、368人もの選手に対して性的が虐待を行い、告発された。
NCAA(National Collegiate Athletic Association/全米大学体育協会)も、MLB(メジャーリーグベースボール)に匹敵する1兆円規模の市場を抱えるスポーツビジネスでありながら、選手である学生に一切お金を払わず、集団訴訟を起こされた。ビジネスとしては今や風前の灯火のシステムです。
ノルウェーやニュージーランドなど、GDPよりソーシャルキャピタルの価値を重視している国より、GDP がいくらだみたいなことを気にする国は、やはり矛盾を抱えやすい。傾聴や尊重を大切にする日本のほうが変わり始めたら早いかもしれないです。