はじめに

商業化が行き過ぎて、使い捨てられる選手

――利益を追求していくだけのモデルや国を今更、日本が追うのも違う、と。

はい。指導改革のみならず、スポーツビジネスに関しても欧米に比べて日本はダメだとよく言われます。でも、海外のスポーツビジネスも決して全方向に優れているわけではありません。先日、ユニセフでも子どもの権利とスポーツについてセッションをしたのですが、そもそも今なぜ子どもの権利や子どもの保護がスポーツ界でも取り上げられるようになっているのか。

結局、スポーツが商業化しすぎて、エリートスポーツ化したことの弊害が出たからです。

特にプロスポーツがある競技は、子どもの頃からひたすら競争させて、将来お金の稼げる選手にしていこうという大人の欲望の中で諸々が育まれてしまった。結果、多くの子どもや若い選手がただ消費され、使い捨てられました。子どもを何らかのエリートにすることは20世紀型の資本主義の中では機能したけれども、21世紀のSDGs型の社会はみんなで中長期的に持続可能な社会を築いていこうという方向にあります。

国連がグローバルコンパクトやビジネスと人権に関する指導原則を提唱し、グローバル企業も目先の利益追求だけではなく、7次、8次の下請けに至るサプライチェーンの全過程で、人権侵害が起きていないかを監視する義務が生じています。この哲学でグローバルエコノミーが動き始めているなかで、注目を浴びやすいスポーツビジネスも無縁ではいられなくなっています。

――他の国も試行錯誤の真っ最中ということですね。

UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の方と話した時、「我々の団体の経済的バリューを上げるために、差別をなくすのだ」と明確に言っていました。安心してスポンサー企業になってもらったり、投資してもらうために人権侵害に取り組む。社会的信頼が企業のアセット(資産)になる時代はすでに始まっています。

また、今は人生100年時代。スポーツ教育での暴力により、子どもたち、若者の残り80年を精神的・身体的障害とともに生きさせていいのか。80数年の子どもたちの現実を考えないといけません。自分たちがやっていることで、その子の残り80年がどうなるのか。想像力を働かせる。そのためにも、やはり価値観の共有は最優先だと思います。