はじめに

南蛮貿易を通して日本にも上陸

さらに1820年代には、イギリスの商船や軍艦で移動する人々とともに、世界中にコロナ菌が拡散しました。スリランカ、東アフリカ、中東、東南アジア……いずれもイギリスが植民地にしていたり影響力を強めていたところです。

そしてコレラは1822年(文政5年)、とうとう日本にまで到達。上陸したのは当時の交易の拠点、長崎でした。この頃の日本は鎖国政策を続けていましたが、長崎だけは南蛮貿易の拠点として海外に開かれた窓口だったのです。ここからさまざまな舶来品とともに、コレラも入ってきて、10数万人が亡くなったとされています。

イギリスの植民地支配の広がりと、発展した航海技術によって、コレラは商人や旅行者とともに世界を旅し、とうとうアメリカとヨーロッパでも流行するようになります。1830年代はコロナ拡散の原因をつくったイギリスでも猛威を振るい、14万人の死者を出しました。

幕末の「開国」がパンデミックを呼び込む

日本での2度目の大流行はやはり長崎からはじまりました。1858年(安政4年)にアメリカの軍艦が持ち込んだといわれています。このときは江戸でパンデミックを起こし、数十万人が犠牲になっています。

背景にあったのは1854年(嘉永7年)の日米和親条約でした。ペリー来航をきっかけに条約が締結され、日本はついに開国。多数の外国人や文化が流入してくるようになったのです。いわばグローバル化のはじまりだったのですが、同時にコレラも再び侵入してきました。人の往来がさかんになると疫病の蔓延も同時に起こるのは、コロナ禍に苦しむ現代と同じです。