はじめに

コロナ禍と同じ現象が100年前にも

スペイン風邪は日本にも早々に上陸。その時期は諸説ありますが、1918年5月に、横須賀に帰港した軍艦250人の乗員が感染していたことが発端だともいわれます。

01ほとんど無人となってしまった成田空港。賑わいを取り戻すのはいつの日か

当時の内務省の資料『流行性感冒』には、
「船舶の往来、通商の繁劇を加えたる本次の流行に於いて、我が国が侵襲を受くるに至りしは到底免れ得ざる所なりしなり」
という一節があり、グローバル化が進んだ社会ではもはや、パンデミックは避けられないものだという認識が伺えます。その予測の通り、日本では当時の人口5,500万人の半数近い2,380万人が感染し、39万人が死亡。

そして世界では5億人が感染し、死者は5,000万人とも1億人ともいわれます。そこで起きたことは、現代のコロナ禍と同じです。

当時のエンターテインメントの最高峰だったサーカスや劇場、映画館の閉鎖。教会での礼拝の中止。不要不急の集会の禁止。アメリカでは営業が許可された劇場でも拍手喝采の自粛が求められ、咳をした人が退場処分となり、サンフランシスコではマスクの着用が法律で義務づけられ、アラスカでは自治体ごとに検問を設けてロックダウンに入りました。医師や看護師がヨーロッパ戦線に駆り出されていたため医療従事者が足りず、各地で医療崩壊が起き、社会は大きく揺らぎました。

ひとつ現代と異なる点は、入国制限を行った国はほとんどなかったということです。オーストラリアだけが国境を封鎖して、国際船の往来を制限。そのため被害は比較的少なかったといわれますが、それでも1万人以上が犠牲になりました。