はじめに
現役看護師であり僧侶でもある玉置妙憂さんは、日々亡くなっていく人々やその人を看取る家族に寄り添う活動をしています。最近では元気な方からも悩み相談を受けるようになり、その多くの悩みに共通しているのは「人と比べてしまうこと」だと言います。今回は「つい比べて落ち込んでしまったときの対処法」についてお聞きしました。
※本稿は『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』(玉置妙憂)の一部を再編集しています。
自分が「人並み」かどうか気になって仕方ない
「私、自信がないんです」
子どもの頃、そそっかしくて忘れ物が多く、運動も勉強も苦手でした。親にも教師にも、あきれられ、いつもお姉ちゃんと比べられて叱られてばかりいました。一生懸命努力して、人並みの大学を出ていい職場に就職したけれど、心の中には叱られてばかりだった過去の自分がいて、いつまでも自信が持てません。
「いまでも、まわりの人と比べて自分はちゃんとできているか、ちゃんと人並みかどうかが気になってしまうんです」
ご本人によると仕事はいたって順調、見た目も可愛らしく、十分自信を持っていいような方でした。
比べられた経験がいつまでも心の中にトゲのように残っていて、何かを決めるとき、まわりの人と比べて及第点かどうかが気になる。誰かに比べていいか悪いかでジャッジしてしまう。そんな方は、実はとても多いようです。
次に、40代の女性のお話をうかがっていたときのこと。病で余命いくばくもない方でした。
「私は、ろくな生き方をしてこなかった」
一度も結婚したことがなく、子どももいないから、自分は「ろくな生き方」をしてこなかった。普通の幸せでいいから、せめて人並みの幸せを手に入れたかった。
その方は「普通」や「人並み」という言葉を何度も口に出していました。具体的な比較対象があるわけではないけれど、世間一般のイメージと、自分の人生を比べられていたのでしょう。そうして、自分が選ばなかった人生をなげいていたのです。
どちらの方も、誰かや何かと比べて優劣を判断し、劣等感にさいなまれています。
子どものころ「比べられて悲しかった」のに、大人になったいま、結局他人と比べることで自分の価値を判断してしまう。「結婚して子どもを育てるのが女性の普通の幸せだ」「それなのに、私はそれができなかった」と人と比べて落ち込み、「結婚して子どもを持たなかった自分」を死の間際まで悔やんでしまう。
私は看護師として、僧侶として、死にゆく方の心に寄りそう活動をしています。最近では元気に生きている方が、よりよく生きるための人生相談、悩み相談などを受ける機会も増えてきました。
その中で、死にゆく方もいまを生きる方も、悩み事には共通点があると感じるようになりました。それが「比べる」ということ。