はじめに

人生を窮屈にさせる「普通」や「人並み」という幻想

いろいろな方の相談を聞いていると、人間の悩みの根本には、「比べる」気持ちがあると感じます。比べて悩むとは、世の中の常識や当たり前など「与えられた価値観に従う」ということでもあります。

子どものときは、親や先生が言ったことを守るとほめられます。そのまま大人になり、会社では上司の言うことに従い、友だちづきあいでは声の大きい人に従い、母親同士のつきあいの中でも右にならう。

そういう生き方はラクである一方、誰かに与えられた価値観に従って生きているだけでは、自分の頭で考えて判断することができなくなります。

「こう言われたから、こうしなければいけない」「世の中の普通にあわせなければならない」ことばかりが気になってしまうのです。

自分はそうしたくないけど、あの人に言われたからしなければならない。自分は真面目に従っているのに、報われない。自分の行動や評価の基準を他人や世間のほうに置き、つねに「人と比べて自分はどうか」と人目を気にしては、何かあるたびに「どう行動したらいいのか」と悩んでしまう。

誰が決めたかわからない「普通」や「世間」、「人並み」などという幻想の檻にしばられて、自分で自分の人生を窮屈にしています。

そうではなく、他人や世間と比べず自分自身で心を満たせることができれば、人生はもっと生きやすいものになるのではないかと感じさせられます。

比べる・比べられるなかで「自分の軸」を持つ

もちろん、私たちは他人の視線や評価から完全に逃れることはできません。つねに誰かと優劣を比べられながら生きています。

ただ、どうしても比べざるを得ないとしても、「みんなはできていることが、私にはできなかった」と、ネガティブな比べ方をして生きてきた人は、最期までネガティブな比べ方をしてしまう傾向があると感じます。

そうではなく、「私はこの生き方を選んだのだから、これでよかったのだ」と自分の軸を持ち、自分なりの生き方をしてきた人は、心おだやかに最期の時を迎えていらっしゃることが多いものです。

人の死に、いい死に方も悪い死に方もありません。けれど、私たちは心おだやかに亡くなっていく人たちの生き方から学べることもあるはずです。

それは、自分の軸を持ち、それぞれの人生を存分に生きるということ。

まったく人と比べないことは不可能だとしても、妬みや嫉みに振り回される経験を、少しずつ減らしていくことはできます。その練習の一つを紹介します。