はじめに

日本の株式市場は明治時代にスタート、戦後に変化が

明治に入り、大河ドラマでも有名な「日本の資本主義の父」渋沢栄一らが、1878年に日本初の公的な証券取引機関である「東京株式取引所」を日本橋兜町に開業しました。これが日本の株式市場の歴史の始まりです。当時は先物取引が取引の主流だったよう。

ただ、第二次世界大戦の際には、全国に多数あった取引所が東京の日本証券取引所に統合され、戦局が悪化した1945年以降は臨時休会が増え、終戦後に取引が中止となってしまいました。1945年8月10日以降は休会となり、そのまま終戦を迎え、GHQの許可が降りて再開するまで4年の年月がかかりました。

1949年に新設された「東京証券取引所」で日本の株式市場は再開したものの、先物取引の禁止が再開の条件となっていました。そのため、市場の流動性は下がってしまったため、1951年にはアメリカ式の信用取引が導入され、戦後の日本経済の復興とともに、現在の東証の前身となりました。

日本の株価は1989年末のバブル崩壊まで右肩上がりと言ってよい上昇を見せていました。株式時価総額がアメリカを世界で初めて上回った国になったこともありましたが、その後はご存知の通り「失われた20年」がくるのです。

株式市場の歴史はまだ発展途上

冒頭にお伝えした通り2022年4月4日、東証2部が開設された1961年以来、およそ60年ぶりとなる大規模な再編が行われました。

2013年に東京証券取引所と大阪証券取引所が株式市場を統合した際に、2つの市場構造が維持され、東証一部、東証二部、マザーズ、JASDAQの4つの市場に分かれていましたが、各市場区分でコンセプトが不明確であったり、上場会社の持続的な企業価値向上の動機付けが十分にできていないとされたことから、各市場区分の特徴を明確にして海外からの投資拡大を促す狙いで今回の市場再編が行われたわけです。

実質最上位の「プライム市場」、国内事業が中心の「スタンダード市場」、成長株・新興企業の「グロース市場」の3つの市場区分に見直されました。プライム市場は株主数800人以上、流通株式時価総額100億円以上、スタンダード市場は同400人以上、10億円以上、グロース市場は同150人以上、5億円以上という条件があります。

特にプライム市場は、「多くの機関投資家の投資対象になりうる規模の時価総額(流動性)を持ち、より高いガバナンス水準を備え、投資者との建設的な対話を中心に据えて持続的な成長と中長期的な企業価値の向上にコミットする企業向けの市場」(日本取引所グループ「市場区分見直しの概要」より)とのことで、日本の代表的な企業を厳選して海外投資家からみても魅力的な市場となることが期待されています。

一方で、骨抜きの改革と揶揄するような厳しい声も出ています。東証1部に上場していた2,177社のうち、約84%に当たる1,839社がプライムに移行しており、再編した後も大枠は変わらず、選び抜かれたとは言えない状況です。加えて、プライムに上場した企業のうち、プライムの上場維持基準に適合していない企業が296社あり、基準適合に向けた計画を開示すれば移行できるうえ、基準適合要件をクリアする期限が設定されていないのです。ただ、そのことでプライムの上場維持基準に適合するために企業改革に真摯に取り組む企業も増えており、日本市場への良い影響を期待したいところです。

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