はじめに

言葉の裏を読めたら一人前

行間を読める人とそうでない人は、日ごろの人間関係や仕事でも大きく差が出ます。行間を読めない人は、相手の言葉を額面通りに受け止めます。

たとえば相手に何かをお願いする場合、「いいですよ」と相手が言っていても、本気で承諾している場合と、内心は嫌がっている場合があります。

表情や間、声のトーンなどからそれらを推察することができるかどうか?行間が読める人であれば、その非言語的なサインを逃さないでしょう。行間が読めない人はそのサインに気づかず、言葉通り相手がOKしてくれたと受け止めてしまいます。

すると、人の気持ちを汲めない人間、強引な人という印象になり、人間関係がうまくいかなくなる可能性が高い。それは当然、仕事の成績につながります。営業マンのような職種であれば、即成績に響くでしょう。

ちょっと前までは、言葉の裏を読むことができるのが、立派な社会人の証のような意識が強かったと思います。上司や先輩たち部下や後輩に向かってストレートにモノを言うのではなく、オブラートに包んだり、あえて逆の言葉を言ったりすることがよくありました。

ある有力政治家の口癖で、「ご苦労さま」という言葉がありました。その政治家が「ご苦労さま」と言った場合は、相手をねぎらう意味ではなく、相手の実力に見切りをつけた場合でした。「お前にもう用はない」というのが本意なのです。

このように相手の口癖なども知っておかないと、「ご苦労さま」と言われて労をねぎらわれたと思い、ぬか喜びしてしまうことになります。

これと逆なのですが、ひと昔前に職場で多かったのが、期待を寄せているからこその叱責です。「こんなこともわからないのか!」というのは、その裏として「お前ならこれくらい理解できて当然だろう」という意味が込められています。

「いつになったら一人前に仕事ができるようになるんだ!」というのは、「期待しているのだから早く一人前になってくれ」という意味だったりします。極端な例になると、「お前なんか辞めちまえ」という罵倒にしか聞こえない言葉が、「歯を食いしばってでも頑張れ。そうすればものになる」みたいな意味だったりする。

いまの時代では到底考えられません。即、パワハラで訴えられてしまいそうです。ただ、20年ぐらい前までは、オフィスで当たり前のように上司の怒号が飛び交っていたものです。
それでも何とかうまくいったのは、お互いが言葉の裏の意味を理解し、暗黙の了解のなかでやり取りしていた部分があったからでしょう。

もちろん現在では通用しませんが、ある意味、汲み取るべき「行間」がたくさんあり、コンテキストに溢れた時代だったとも言えるのではないでしょうか。

読解力を構成する「要約」と「敷衍」

私がゼミや勉強会などで読書の仕方を教える際、必ず参加者にやってもらうことがあります。それはテキストの「要約」と「敷衍(ふえん)」です。

「要約」とは言葉通り、文章を重要な部分を抽出して短くまとめ、文意を簡潔に示すことです。「敷衍」とはその逆に、文意はそのままで、それをより詳しく、かつ理解しやすいように言葉や表現を変えながら話を広げていくことです。

私自身が学生の頃、塾の国語の先生に教わった方法です。「要約」と「敷衍」をセットで行うことで、テキストに対する理解が飛躍的に高まります。

まずは「要約」のやり方ですが、テキストのなかのポイントとなる文章を抜き出し、それを再構成します。

一般的なやり方としては、まず文章を段落ごとに分け、それぞれの段落で著者のもっとも主張したいこと、要点となる文章を抜き書きします。

だいたい、各段落の冒頭部分か最後の部分に結論がくる構成が多いので、意識するとよりわかりやすいと思います。

こうして、要点となる文章を箇条書きにして並べます。そして全体として著者が主張したいこと、論理構成をつかみます。その上で、そのなかからさらに重要なポイント部分を抽出し、著者の論理構成に従って再構成します。

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