はじめに

2011年3月11日(金)14時46分に発生した東日本大震災から、早くも12年の年月が経過しようとしています。

震源は三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近、マグニチュードは9.0でした。日本国内観測史上最大規模で世界でも4番目の規模の地震でした。津波による大きな被害があった岩手、宮城、福島3県を中心に死者、行方不明、震災関連死は約2万2,000人にも上ります。

当時、皆さんはどこで何をなさっていましたか?


震災発生直後の様子と原発事故

私は当時まだサラリーマンで、証券ディーラーをしていました。大きな揺れに驚きつつ、一旦揺れがおさまったタイミングで、同僚たちと一緒に会社の建物の外へと出ました。多くの方が私たちと同じように屋外へと出てきていました。

その後、再び揺れる様子がなかったので一度社内に戻り、上司からの呼びかけで持ち株のポジションを全て手放しました。ご存知のとおりその日は交通機関が一切動かなかったので私も自宅まで歩いて帰宅しました。

一方、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉6機のうち、運転中の1号機から3号機までのすべて(4~6号機は定期検査で停止中だった)が自動停止しました。1号機から4号機までの使用済燃料プールの冷却は困難となりました。

震災翌日に1号機、震災3日後に3号機、震災4日後に4号機において、それぞれ水素爆発と思われる爆発が発生しました。2号機においても爆発と思われる大きな衝撃音があり、4号機は火災も発生しました。汚染水の滞留、外部流出も発生、この事故は発電所内施設の損傷に留まらず、放射性物質が外部へと放出される事態へと進展しました。

この事故から10年間で廃炉作業や被災者への損害賠償、汚染地域の除染といった事故処理にかかった費用は約13.3兆円に上り、政府は処理費を総額21.5兆円と見込んでいますが、想定を上回る可能性が高い状況です。目に見えない放射性物質というものに恐さを感じつつ、今なお処理水などの対処について課題を残しています。

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