はじめに
【事案2】誰が一番親に愛されていたの?
母親が先に他界しており、父親が亡くなったことで、残された子どもたちだけで遺産分割の話し合いが始まりました。しかし、兄弟の中で、誰の学費が高かった、誰は長く実家に住んでいた、最後の介護をしたのは自分だ、自宅の修繕費を出してもらった人がいる、会社の設立時に援助してもらった人がいる……と、それぞれに誰かが優遇してお金を貰っていると指摘し出し、法定相続分での遺産分割が不平等である、自分に一番たくさん分配されるべきだと主張し合う事態になりました。
いよいよ話し合いでは決着がつかないということで、家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てました。証拠の有無である程度認められるお金のやり取りが定まってきましたが、その頃には兄弟間の紛糾は次のステージに発展していました。「自分がどれほど両親に愛されていたか」を言い争い始めたのです。自分が一番愛されていたから、今までも自分に一番お金を使ってくれていて、今回も自分が一番お金を貰えるべきだ−−まとめるとこういった主張をそれぞれにし始めたのです。
個人的な見解ですが、遺産分割の場で、貰えるお金の量や貰ったお金の量で被相続人の愛情の大きさを量り始めると、どうにもならない本当の意味での泥沼化が始まると感じています。はては、「あの子は両親にこんな酷いことをした」「両親はあの子を嫌っていた」などというネガティブキャンペーンに発展し、もはや相続財産を無事に分け終えたとしても、兄弟間の関係は修復不可能になることが多いと思います。
弁護士が代理人についている場合、感情論に繋がる話は事件後に禍根を残し過ぎるので、できるだけ主張しないように説得することが多いです。法律的に意味のある事実を主張することが、弁護士が専門家として担っている役割の一つでもあり、本人が自分で主張する場合に意外と難しい点でもあります。どんなに冷静な方でも、自分の感じた感情や出来事への評価を含めて、物事の経緯や事情を説明をしています。日常的な会話は、感情や評価を含めて行うものですから、当然です。
誰が一番愛されていたかという答えのない論争を始めないためにも、身近な人との問題だからこそ、相続問題には弁護士など専門家を選任されることをお勧めします。
弁護士をしていると、訴訟に発展しかねない相続問題だけが相談対象になりますから、こちらが一般的と勘違いしそうになりますが、殆どのご家族では裁判所の力を借りずに相続手続きを済ませているはずです。
家庭によって事情は違いますが、親は子どものことを等しく愛していると思います。両親は、自分たちの死後、子どもたちがそんな泥沼の訴訟をするとは思っていないでしょうから、遺言書を残す方が子どもを信用していないように考えてしまうものかもしれませんが、遺言書は両親の最後の「手紙」と考えてみてはどうでしょうか。
遺言書は一度作っても新しく作り直すことができますし、書いた本人であれば破棄することもできます。あまり気負わずに作成されてみてもいいのではないでしょうか。それが泥沼化の相続問題を防ぐ一番の方法でもあります。
いきなり遺言書の話はハードルが高いかもしれませんが、一般的になってきた「終活」という言葉も使いながら、少しずつ話し合う機会を設けてみてはいかがでしょうか?