はじめに
なぜ「テンセン」と読むのか?
ここでようやく本題です。なぜ「十銭ストア」は「じゅっせんストア」とか「じっせんストア」とは読まずに、「テンセンストア」と読むのでしょうか? そのヒントは高島屋が参考にした、米国のビジネスモデルにあります。
1936年(昭和6年)に商工省(現在の経済産業省に相当)商務局が発行した「『高島屋十銭二十銭ストア』に就(つ)いて」というレポートには、川勝堅一・高島屋総支配人(当時)によるこんな記述が登場します。
「大正十一年(1922年)(中略)現社長の息(そく=息子)飯田新三郎氏並(ならび)に現重役細原和一良氏の米国商業視察旅行の帰朝(帰国)報告に『均一ストアのチェーン・システム』は仲々面白い、ひとつ研究してみてはどうかといふ様なことから始まつて(中略)南海店一部開店の際の十銭ストアがその研究の発表会になったわけでございます」(注意:『』は筆者が追加)。
このとき高島屋が研究の参考にしたのは、米国の小売店ウールワース(Woolworth’s)が確立した10セント均一ショップでした(注:1ドル=100セント)。この種の業態のことを、当時の英語では「ten cent store」(テンセントストア)などと呼んでいたのです。
もうお分かりですね。十銭ストア(テンセンストア)はten cent store(テンセントストア)との洒落から登場した呼称だったのです。たまたま、米国の補助通貨単位であるセント(cent)と、日本の補助通貨単位である銭(せん)の発音が似ていたからこそ成り立つ駄洒落だったのです。
十選(テンセン)ストアという呼称には、ビジネスモデルが国を超えた、その名残が隠れていたことになります。
均一店という普遍的ビジネス
と、このように書くと「当時の日本は外国の真似ばかりしていたのだな」とがっかりする人もいるかもしれません。それはそれで正しい見方だとは思いますが、実は価格均一ショップという業態自体は、古今東西の社会に現れる「普遍的ビジネスモデル」でもあります。
そもそも価格均一ショップは世界各地で見られる業態です。
例えば中国には「一元店・三元店・五元店・十元店」が、英国には「ポンドショップ」が、米国には「ダラーストア」が、ギリシャやイタリアには「ワンユーロストア」が存在します。また英語には、価格均一ショップを意味するprice-point storeという表現も存在します。
一方、日本でも、江戸時代にはすでに価格均一ショップが登場していました。例えば1809年(文化6年)には「三十八文見世(みせ)」という38文(もん)均一ショップが登場。また1722年(亨保7年)ごろにも「十九文見世」が登場していた記録も残っています。
つまり価格均一ショップは「古今東西で普遍的に登場するビジネスモデル」なのです。むしろ普遍性があるからこそ、ten cent storeが海を飛び越えて十銭(テンセン)ストアに変身できたのかもしれません。