はじめに
国会議事録では1960年に「青田刈り」が登場
この拮抗について筆者には思い当たる節があります。
学生の早期確保を意味する青田刈りや青田買いが「最初に」話題になったのが、1960年代のことだったからです。実際、1962年には、青田刈り・青田買いが流行語になったとの記録もあります(参考「暮らしの年表 流行語100年」講談社編、講談社、2011年5月など)。そして当時、就職活動を行っていた人々が、2014年時点における70代の人々だったです。
当時、これらの言葉が世間に広まっていった様子は、国会の議事録においても確認できまます。まず1960年8月10日の参議院・内閣委員会の議事録では、青田刈りが登場しました(注:それ以外の意味の青田刈りは、以前にも記録がある)。
具体的にはこんな発言でした。「ことに最近は(中略)新聞で現(あら)われているように『青田刈り』といって、まだ在学中に他に抜きんじて試験を行なって、そうして採用するというような一例も出ておりますけれども」(括弧・二重括弧は筆者による)。
この発言者の情報を信じるならば、1960年の時点ですでに新聞が青田刈りという言葉を使っていたことになります。
5年後の議事録に「青田買い」も登場
一方、国会で青田買いが初登場するのは1965年2月27日の衆議院・予算委員会第一分科会でのことでした。
具体的にはこんな発言でした。「さて大学における研究者あるいは技術者としての養成をするという、その態度を育成する上に非常な問題は『青田買い』の問題です」(二重括弧は筆者による)。
そして国会では1965年以後、青田刈りと青田買いを混用・混同する状況が、なんと現代まで続くことになります。
国会ではたまたま、青田刈り→青田買いの順番で発言が登場しましたが、世間ではどうやら両語の混用・混同が流行の早い時期から進んでいたようです。かくして混用・混同の直撃を受けた最初の世代が、青田刈り派と青田買い派で拮抗して、そのまま70代になったのかもしれません。
ということで今回は、学生の早期確保を意味する「青田買い」と「青田刈り」について紹介しました。