はじめに
アニメ「クレヨンしんちゃん」に「男の沽券(こけん)にかかわるゾ」というエピソードがあります。しんちゃんのパパ・ひろしが、ママ・みさえに「座ってトイレを使うように」と要求され、「男の沽券にかかわる大問題だぁ!」と反論するところから始まるエピソードです。そこでしんちゃんも、すかさず「そうだ股間に毛がある!」とボケる流れでした。
これはあくまでアニメの台詞の話ではありますが、確かに幼稚園児にとって沽券という言葉は聞き慣れないものですよね。いや、幼稚園児だけでなく実は大人にとっても、沽券は難しい言葉であるように思います。
そもそも「沽」という文字を、沽券以外の言葉で滅多に見かけません。また沽券が「人や組織などの価値や体面」を意味することは知っていても、その由来については知らない人が多いのではないでしょうか。
沽券に「券」と書いてあるからには、実際、沽券は「券」なのです。そして本連載が取り扱う話題ですから、その券には、もちろん「経済的な意味」も含まれています。今回は「沽券」という言葉の成り立ちを探りましょう。
沽券の「沽」を訓読みしてみよう
まずは「沽」という漢字について分析しましょう。
実はこの漢字。訓読みすると「沽る」(うる)、または「沽う」(かう)となります。つまりこの漢字は元々「売買」を指す字なのです。
沽のつく熟語には――いずれも現代の日本語では馴染みがない言葉ではありますが――売買に関するものが少なくありません。例えば沽酒(こしゅ)といえば、酒を売り買いすること。沽名(こめい)といえば名前を売ること。つまり売名という意味。また沽濫(こらん)といえば、濫(みだ)りに売ること。すなわち投げ売りを意味するわけです。
また日本では古くから、沽価(こか)という言葉も使われていました。これはざっくりいえば「価格」を意味する言葉。少なくとも奈良時代以降には使われていた言葉です。
律令制度のもとで「沽価帳」(こかちょう)という資料も公式に制作されており、それは商品の市場価格を調査した資料であったといいます。物価安定化や公正取引などを目的とした調査資料であったようです。
このように沽という漢字は、本来、売買を意味しているわけです。
沽券とは「売り渡し証文」のこと
では「沽券」とは、どういう意味なのでしょうか? 沽が売買の意味であるならば、沽券は「売買券」を意味することになりますよね。
実は沽券とは「売り渡し証文」のことを意味します。多くの場合は「土地」の売り渡し証文を指します(このほか人身売買などの沽券もあった)。別名では売券(ばいけん・うりけん)、沽却状(こきゃくじょう)、沽券証文、沽券状、沽券手形などともいいます。売り手がこのような証文を作成して、売り渡しの際に買い手に渡す仕組みでした。
この証文には、土地の所在地・面積・価格・売り主の名前・買い主の名前・小作料(田んぼの場合)などの情報が記載してありました。そしてその冒頭部分で「沽却 私地事」などの定型文がよく登場したのです。ちなみに沽却(こきゃく)とは売却のことです。この定型文が、どうやら沽券の語源になっているのでは――とも言われています。