はじめに

和銅

和銅(1)今度は武蔵国から銅が献上された

その大宝元年から7年後に「和銅」(わどう)という名の元号が誕生しました。期間はユリウス暦の708年2月7日から715年10月3日まで。飛鳥時代から奈良時代への移り変わりにあたる時代でした。よく知られるように、平城京への遷都が710年(和銅3年)に行われています。

さて和銅における改元理由は「銅の献上」であったと言います。武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)において、和銅(にぎあかがね)と呼ばれる純度の高い銅が発見されたのです(続日本紀)。その銅が朝廷に献上されたことが、改元の契機となったとされます。

ちなみに「にぎあかがね」という読みが、現代では見慣れないものかもしれませんね。これは「にぎ・あかがね」と分けることが可能。「にぎ(にき)」の方は「柔らかい」という意味で、「あかがね」の方は漢字では「赤金」とも書きます。これすなわち「銅」のことです。つまり、にぎあかがねとは「柔らかい銅」、すなわち純度が高く精錬を必要としない銅を意味します。

和銅(2)和同開珎

この「銅の献上」や「和銅という元号」と深く結びついていると思われる出来事が、日本初の公式硬貨とされている「和同開珎」(わどうかいちん、わどうかいほう)の発行です。続日本紀には「708年(和銅元年)5月に銀製の和同開珎が発行され、8月には銅製の和同開珎が発行された」とあるのです。

ただしここで注意したいのは、元号・和銅の表記には「銅」が含まれるのに、和同開珎の表記には「銅」が含まれないということ。和同開珎の「どう」は「銅」ではなく「同」なのです。

和同開珎という命名の背景については、実ははっきりとしたことが分かっていません。「和銅と和同開珎のどちらが先の命名なのか」「ふたつの名称に因果関係はあるのか」などの疑問も存在します。また「和同開珎が本当に日本最古の通貨なのか」についても異説が存在すると聞きます(詳しく知りたい人は富本銭に関する議論を調べてみてください)。

しかし以上は筆者の手に余る疑問。ここでは和同開珎と和銅の「どう」は別物――という事実だけ押さえておくことにしましょう。

ともあれ平城遷都という大きな出来事の中で、銅や通貨が重要な意味合いを持っていたことだけは、間違いないと思われます。

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