はじめに

フランを漢字で表すと「法」になる

今度はユーロ導入(現金の流通は2002年開始)に伴い廃止された通貨単位について紹介しましょう。まずはフランス、ベルギー、ルクセンブルクで使われていた旧通貨単位である「フラン」(franc)のお話です(注:EU非加盟国のスイスでは現在でもスイスフランを使用している)。さて、この通貨を漢字で表すとどうなるのでしょうか?

先程も登場した谷譲次の海外体験記『踊る地平線』には、こんな記述も登場していました。

「名だけ壮麗なHOTELルイ十四世――お泊り一人一晩。七法(フラン)・種々近代的御便宜あり――の狭い入口に、毛布をかぶった老婆が占いの夜店を出していたり(後略)」

当時の1フランは公式レートで0.4円ぐらいなので、7フランは3円弱といったところ。当時の帝国ホテルの宿泊料金がシングルで10円程度だったというので(参考:値段史年表)、体験記に登場するのはそういうレベルのホテルだったのでしょう。

ということでフランには「法」(ホウ、のり、のっとる)という漢字が当てられていたことが分かりました。そもそもフランスという国名には「仏蘭西」のほかに「法蘭西」「法朗西」「法国」などの表記法も存在します。これらの表記からの引用によって、フランの当て字も登場したのかもしれません。

マルクを漢字で表すと「麻克」になる

一方、ドイツにはかつて「マルク」(Mark)という通貨単位がありました。このマルクは、漢字で書くとどうなるのでしょうか。

歌人・斎藤茂吉のエッセイ『南京虫日記』(1929年、昭和4年)にはこんな記述が登場します。

「間代は一月三百万麻克(マルク)だと云(い)つたが値切る勇気もなかつた」

このときのマルク(おそらく1924年に導入されたライヒスマルクを指すと思われる)の為替レートについて、同じエッセイのなかに「英貨一磅(ポンド)の相場が、千五百万麻克(マルク)」との解説も記してありました。もろもろ計算すると、引用文にある間代(家賃)は月2円ほどだったのでしょう。ちなみに当時、東京の板橋区にあった一軒家の家賃が10円強だったといいます(参考:値段史年表)。登場する数字がやたらに大きいのは、おそらく20年代初頭に起こったハイパーインフレも影響していたのでしょう(その安定化のために登場した新通貨の一つがライヒスマルクだった)。

ということで、マルクには「麻克」という漢字が当てられていたことが分かりました。麻の音読みは「マ」で、克の音読みは「コク」なので、このパターンもまた「読みが似ている」ことが理由だと思われる当て字です。

ちなみにマルクにはこのほか「馬克」という当て字もあります、例えば報知新聞の1904年(明治37年)8月24日付けの記事には「此(この)損失額のみにて既に一千万の馬克(マーク)なりと数へらる」との記載も登場しました。

ルーブルを漢字で表すと「留」

最後にロシアなどにおける現行の通貨単位であるルーブル(рубль)の漢字表記も調べてみましょう。

三度、谷譲次の『踊る地平線』に登場してもらいましょう。

「さて、新刊西比利亜(シベリア)旅行案内。第一章、地理的概念。(中略)ヴィヤットカ――おなじく黒く低い街。白樺細工の巻煙草(まきたばこ)箱一留(ルーブル)五十哥(カペイカ)より。みんな買う。私も買う」

ヴィヤットカ(Вятка)とは、のちにいうキーロフ(Киров)のことで、ロシア北東部にある街のことです。もっとも当時はロシアではなくソビエト連邦の都市でした。

そしてここで購入できる巻煙草が、一箱1ルーブル50カペイカだったと言っているのです(カペイカはルーブルの補助通貨で1ルーブル=100カペイカ)。当時の公式レートで1ルーブルは1円ほど。当時の国内のたばこの値段は、1箱10本入りのゴールデンバットが8銭(1936年、昭和11年、参考:値段史年表)だったといいます。ゴールデンバットが何箱も買える巻煙草を「みんな買う。私も買う」と表現するのは少々違和感があるので、実勢の為替レートはもう少し違う数字だったのかもしれませんね。

ともあれ、ルーブルは「留」、ついでにカペイカは「哥」と表記することが分かりました。これもまた「読みが似ている」ことからの当て字だと思われます。

――ということで今回は「世界の主要な通貨単位を漢字で表すとどうなるか?」という問題について追いかけてみました。江戸末期から昭和初期にかけて磅(ポンド)、法(フラン)、麻克・馬克(マルク)、留(ルーブル)といった当て字が登場したことが分かりました。そのなかでもひときわ目立っているのが、通貨記号の「形」から連想された弗(ドル)の存在感。このような粋な当て字は、今後しばらくは登場しないかもしれませんね。

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