はじめに

旧オスマン帝国に見られる「リラ呼称」

トルコリラの話に戻りましょう。すでに説明した通り、トルコリラが登場したのはオスマン帝国の時代でした。オスマン帝国といえば「アジア・アフリカ・ヨーロッパにまたがった」(広辞苑・第七版より)領土を持つ帝国。その名残が、リラ名称の「地域的広がり」から感じ取ることができます。

現在、世界でリラという通貨名を用いているのは、トルコだけではありません。例えばシリアでは、シリアポンド(通貨コード:SYP)と呼ばれる通貨が流通しています。この通貨は正式名称こそポンドですが、現地ではリラと呼ぶのだそう。現在のトルコと接する地域にあるシリアは、かつてオスマン帝国の支配下にありました。かつてはトルコリラが流通していたこともある地域なので、現在でも「お金=リラ」という意識があるのかもしれません。

そしてこれと似たような状況は、やはりオスマン帝国の支配下にあったヨルダンやレバノンでも見られるそうです。このようにリラという通貨単位と、オスマン帝国の影響力には、少なからぬ関係が存在するわけです。

ただし正式名称としてリラの名前を残しているのは、現状では「トルコリラだけ」ということになります。

トルコリラの通貨記号は「£」だった

最後に通貨記号の話にも触れておきましょう。日本円における「¥」に相当する記号の話です。

かつてトルコリラは「£」という通貨記号を用いていました。これはアルファベットのLに1本(または2本)の横棒を加えた記号です。日常生活ではあまり登場しない表記だったようですが(前編でも紹介した通り、日常的にはTLを用いる)、一応このような表記法も存在したわけです。

ところで読者の皆さんは、この記号を「イギリスポンドの通貨記号」としてご存知なのではないでしょうか。例えば100ポンドを£100と書いたりしますよね。前述した通りリブラ(リラ)とポンドは親戚のような関係にあります。£に登場するアルファベットのLは、実は前述したリブラ(libra)の略なのです。そこでイギリスポンドもトルコリラも、同じ£の記号を用いていたのです。

しかしトルコリラで£が使われたのは「2012年まで」の話でした。

新記号にこめた意味

2018年8月19日付けの毎日新聞・ウェブ版に「日本人の目には、どう見てもひらがなの『も』である…」という不思議なタイトルのコラムが掲載されていました。これは2012年にトルコリラの通貨記号が「£」から「₺」(※1)に変更になっていたことを題材にしたコラムです。

ただし読者の皆さんの閲覧環境によっては、※1の記号が文字化けして見えているかもしれません。この※1の記号は「錨(いかり)のマーク」の右半分のような形。あるいは、ひらがなの「も」に似た形。あるいは、カタカナの「レ」に二本の右上がりの横棒を加えたような形をしています。このうち錨の部分に「安定性」の意味を、右上がりの部分に「成長性」の意味を込めているのだそうです。

トルコは2012年、公募を経てこの新しい通貨記号を導入しました。2005年にデノミを実施して(名称は新トルコリラに)、2009年にはさらにその名称を変更した(名称は再びトルコリラに)、そのあとの出来事でした。

毎日新聞の指摘によれば、この新記号を導入したのが当時のエルドアン首相、現在のエルドアン大統領だったとのこと。エルドアン大統領といえばその独裁的な政治姿勢が問題になることも多い人物です。記号制定の当時、トルコの野党が「この記号はエルドアン氏のイニシャルであるTとEを組み合わせたのではないか」と批判したこともありました。

これはあくまで筆者の私見ですが、とかく混乱の渦中にある通貨(多くの場合それはインフレーションに見舞われた通貨のことです)は、名称・記号などの側面でも目まぐるしい変化が伴うように思います。実際トルコリラは、2005年以降という比較的短い時間の間に、通貨コード、通貨単位、通貨記号が次々と変化しました。これら一連の出来事が、この国における通貨政策の混乱を示しているように思えてなりません。

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