はじめに

「人の資質」こそ宝

一方、「人の内面・資質」に注目したことわざもあります。

まず紹介したいのが《陰徳(いんとく)は末代の宝》ということわざ。これは「隠れて善行を積むと、子孫にまでよい影響を与える」と語っていることわざです。つまりここでいう宝は「善行」を指すことになります。また《堪忍は一生の宝》は「我慢」が宝だと位置づけられています。同様に《正直は一生の宝》は「正直」が宝だと述べています。

冒頭で紹介した《富は一生の宝》も実はこのタイプのことわざです。先にも述べた通り、このフレーズには続きがあります。実際には《富は一生の宝、知は万代の宝》と続くのです。その意味するところは「財産は一生の宝物である。しかし知恵は一生どころか後世にとっても宝物である」というもの。つまり「知恵」こそが、より価値の大きい宝物だとされています。

このようにことわざのなかでは、善行・我慢・知恵といった「人の内面・資質」も、宝と称されているわけです。

「チャンス」や「ポテンシャル」こそ宝

このように、ことわざでは「人」や「人の内面・資質」を表している宝物に大きな存在感があります。どうやらことわざの世界のなかでは「人そのものや、人の内面・資質を大事にする価値観」が息づいているようですね。

最後に「人でもない経済的価値でもない宝物」も紹介しておきましょう。

まずひとつめは《用(よう)に叶えば宝なり》ということわざ。平時は役に立たないものでも、いざという時に役に立てれば、それは宝物のように貴重なものであると語っています。この場合の宝は「物のポテンシャル(潜在可能性)」を指しています。

もうひとつは《宝の山に入りながら手を空しくして帰る》というもの。現代風にいえば「せっかくのチャンスに恵まれたのに、何もせずに終わってしまった」状況を意味します。この場合の宝は「チャンス(機会)」を意味します。

物を宝に例えた時、実は「ポテンシャル」や「チャンス」を示しているというのも非常に面白い点。よくよく考えてみたら、冒頭で紹介した《宝の持ち腐れ》だって「ポテンシャルやチャンスが活かされないこと」を嘆くことわざなのです。現状では価値が発揮されていない物事について、その可能性を説くという「優しい価値観」を、筆者は愛おしく感じているところです。

参考:「学研 用例でわかる故事ことわざ事典」など

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