はじめに

人材こそ宝

一方、人材を「宝」と捉える諺もあります。

例えば《器用貧乏人宝》(きようびんぼうひとだから)もそのひとつ。前半の器用貧乏は、日常生活でもよく聞く表現ですよね。中途半端に器用であるため、ひとつのことに徹することができず、大成しない(=貧乏になる)状況を指します。そのような人物は「他人から見ると宝物である」ともいえます。「どんなことを任せても、そこそこの成果をあげる人物」であるからです。そう言われた人物はあまり嬉しくないかもしれませんが、ともあれ、宝が「人材」を意味していることだけは間違いありません。

ちなみに《器用貧乏人宝》にはいくつかのバリエーションもあります。《細工貧乏人宝》、《職人貧乏人宝》という言い方もあるのです。ここに登場する細工貧乏も職人貧乏も、器用貧乏と同じような意味。昔から、そういう種類の人は多かったのかもしれませんね。

子供こそ宝

さて「命」や「人材」の次は「子宝」(こだから)のことわざを紹介しましょう。

もっともストレートな事例は《子に過ぎたる宝なし》、《子にまさる宝なし》でしょう。言うまでもなく「子供はなにものにも勝る宝物である」ということを意味しています。また似た表現には《千の倉(くら)より子は宝》《万の倉より子は宝》《金宝より子宝》《子宝千両》ということわざもあります。どんな経済的価値を持ってしても、子供の価値にはかなわないと語っているのです。

その一方で「子宝」とは述べているものの、実は子育ての苦労を表現していることわざもあります。

代表例は《子宝、脛(すね)が細る》。「確かに親にとって子供はかけがえのない存在なのだが、育児には何かと苦労が伴う」状況を意味します。もうひとつ《子三人、子宝》の場合は「子供は多すぎると大変なので、三人ぐらいにしておくと子宝と言うのにふさわしい」ことを意味します。余談ながら現代社会の子育ては、三人どころか一人でも大変な気もしますね。

[PR]NISAやiDeCoの次は何やる?お金の専門家が教える、今実践すべきマネー対策をご紹介