はじめに
インフルエンサーの時代
私がインスタグラムに初投稿したのは2011年1月10日でした。当時はまだ新興アプリ内での、いわば牧歌的な光景が展開していたように記憶していますが、その後インスタグラムはわずか5年ほどのあいだに、グローバル企業がからむ、巨大なマーケティングの場にすらなってきています。
2011年当時のフィルターの面影を残す筆者最初のインスタグラム写真
その中心にあるものは、いわゆる「インフルエンサー広告」と呼ばれるものです。人気ファッションモデルなど、既に若者に人気があり、多くのフォロワー数を誇るインスタグラマー(=インフルエンサー:影響力のある人)に、売り込みたい商品を使っている様子の画像・動画などをアップロードしてもらうマーケティングです。
2016年ごろに「インフルエンサー」という言葉がグーグルでも非常に頻繁に検索されるようになったほか、同年には、モデルであるケンドール・ジェンナーによるソーシャルメディアの1投稿に対して、広告料として30万ドルを払うようになったといわれています。*22019年現在、インフルエンサー広告は、10億ドル産業になったとの見方すらあります。
*2 The wild west of influencer-dom: Will social media stars continue to rise?
パリス・ヒルトンからインスタ女子まで
Netflixオリジナル映画「アメリカン・ミーム」(2018)は、そうしたインフルエンサーたちの姿を追いかけたドキュメンタリーです。この映画によれば、アメリカにおいて、インフルエンサーの最初の範型となったのは、タレント・女優でありソーシャライト(社交界の有名人)でもあるパリス・ヒルトンといわれています(ヒルトンホテル創業者のひ孫)。
ミームというのは、いわば「文化的遺伝子」のことであり、ソーシャルメディアを通じて、パーティーにまみれたグラマラスな人生を見せびらかすインフルエンサーたちの姿勢に、どこかアメリカ的な病理を見出しているような映画の題名ですらあります。
インフルエンサー・ブームに疑念を投げかけるような出来事も2017年に起こっています。チケットが日本円にして百万円越え、バハマの孤島でおこなわれるという、ラグジュアリーなはずの音楽フェスティバル「ファイヤー(Fyre)・フェスティバル」が、準備不足や投資詐欺疑惑によって、数百人の観客が島に到着した開催初日に突然中止されてしまいます。
このフェスのために、開催前からインフルエンサーとして多くの人気モデルが起用され、バハマの海辺で遊ぶ姿などを彼女ら自身がインスタグラムで大々的に投稿していました。
この事件の前後から、タイアップ広告であることを文章やハッシュタグなどを用いて明示していない場合、発信者であるインフルエンサーの責任も場合によっては問われるようになってきています。
華やかなモデルによるインスタグラム投稿で始まったリッチなはずのそのフェス計画は、現地で配給されたみすぼらしい食事(一枚のチーズに、ほんの少しの野菜が添えられたパンだけ)のインスタグラム投稿によって、一夜にして悪いジョークとしてバズって(話題になって)ゆきました。その意味で、インスタグラム熱を象徴するような事件だったともいえるでしょう。
日本でも、だいぶスケールは違いますが、2019年にシャワーヘッドのメーカーが、インフルエンサー・マーケティングをおこない、多くの契約したインフルエンサーたちが新しいシャワーヘッドを手に持った写真を同時期にインスタグラムに上げたところ、「インスタ女子、なぜか一斉にシャワーヘッドがぶっ壊れる」と、一部の掲示板で冗談のように語られたこともありました。*3