はじめに

日本的インスタグラム?

日本人とインスタ的なものとの関係はどのようなものなのでしょうか。そもそも、携帯電話において、日本の大手キャリアは、のちのスマホ・ブームにつながるようなことがらを先行しておこなってきた面もありました。携帯用のサイトとしてのiモード、そしてガラケーでも標準搭載されていたケータイカメラなどです。

日本の女子高生たちには、「プリクラ」という前史もありました。つまり、デジタル写真の「自撮り」を加工して友達と共有して楽しむという、のちにインスタグラムで世界的に一般的になる実践を以前からおこなってきた、ともいえそうです。

しかし久保由香『「盛り」の誕生』によれば、現在では「世界でこんなにも自撮りがさかんなのに、世界で最も早くから自撮りをしていた日本の女の子たちは、もうすっかり自撮りをしなくなっていた」との観測が述べられています。 *4

日本人女性のソーシャルメディア利用でよくいわれていることは、彼女らが、非常に気を遣いつつ自己提示をしている、ということです。

たとえカギをかけているアカウントであっても、自撮りをこれ見よがしにアップロードすることには抵抗があると述べる人も今では多いです。きれいな夜景の写真を投稿するときでさえ「#でも彼氏いないけど」などの「言い訳ハッシュタグ」をつけることも盛んだといいます。

インスタグラムには、現代における有名人崇拝と承認欲求、さらには、つながりというものをメディアを通じて可視化したい現代人の精神があらわれています。

セルフィーと億単位のインフルエンサー広告が目立つ英米のインスタグラム。他方、「インスタ映え」した料理やペット、さらには友人との「ディズニー写真」などが目立つ日本のインスタグラム。それは、自己提示の仕方における彼我の差異だともいえます。

悪名は無名に勝る、ともいうべき精神で、とにかく注目を集めて自我の拡大を志向するのか、あるいは周りに気を遣い、既存の社会的つながりを再確認しながら、こぢんまりと生きていくのを良しとするのか…。

インスタグラムやソーシャルメディアに関する社会評論においては、浅薄なインフルエンサー文化などによって、人々の真のつながりが失われていくことへの批判があるかと思えば、女性たちが等身大の自己イメージを回復させたり、また、親しい仲間との共感を再確認したりする新時代のツールだとする評価もあるようです。

南フロリダ大学所属のディリアラ・バガウティディノバによれば、ミレニアル世代の女性たちは、確かにインフルエンサーの美しさを理想的な体型だと見上げてはいるものの、自分の投稿へのいいねやコメントの多さもまたユーザー女性にとって重要であるようだと分析しています。*5

なぜなら、いいねの数は社会から認められたというしるしでもあり、それゆえ、彼女らの自尊心や自分の美しさについての意識に影響を与えるからだ、とのことです。

高名な写真家と女性モデルとのかつての関係が、今や批判される可能性もある時代を迎えていますが、セルフィーを自分で世界に発信できるのなら、もはや女性たちが年長男性のまなざしを介さずに自己表現できる環境が整ったともいえます。

他者とつながり、自己像を確立し、楽しい体験を記録に残す。そうしたプロセスが現代的にスマホの中に集約されたものこそがインスタグラムなのでしょう。

個人的には、「ストーリー機能」が実装されてから、インスタグラムは違う段階に入ったという印象を持っています。24時間で消えてしまう短い動画などを公開できるストーリー機能ですが、以前のインスタグラムにあったような、他のユーザーによる1枚の写真だけのインパクトを瞬時に楽しむことができる、あまり時間のかからないSNSという良い印象が薄れてしまったようにも思えます。

大学生を中心にインスタ離れが起こっているとの観測も出てきています。いろいろな意味で、インスタグラムも曲がり角を迎えているといえそうです。

*4 久保由香 2019『「盛り」の誕生』太田出版、273ページ。
*5 Bagautdinova, Diliara, 2018. The Influence of Instagram Selfies on Female Millennials’ Appearance Satisfaction (Master's Thesis, University of South Florida). Retrieved from https://scholarcommons.usf.edu/etd/7261

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