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トランプ大統領の対抗馬は誰? 本番は来年11月でも佳境に入った米大統領選

かつてよりも長期化した選挙戦

なぜいまが「佳境に入っている」のか

民主党側に話を絞ります。実際には来年2月から始まるものの、それよりも半年も前のいま、米国のテレビニュースでは連日のように「バイデン氏が一歩リード」「ハリス氏が急浮上」「行き詰まるオルーク氏」などの詳細な報道が続いています。トランプ大統領と民主党の各候補の支持率の比較で、「トランプ氏、危機」などといった報道もあります。

まさに「佳境に入っている」かのようにみえますが、実際には討論会以外はまだ、全く何も始まっていません。すべてが世論調査の結果や選挙献金の多寡についてばかりで、いってみれば「バーチャルな戦い」でしかありません。

どうしてこうなっているのか。それには候補者側の心理と戦略と選挙制度の変化が大きく関連しています。今は実際の選挙の前年ですが、ほとんどの候補はいまよりも1年ほど前から選挙運動を始めてきました。この長期戦が一般的となっており、予備選段階が前倒しになることで、選挙運動がかつてよりも長期戦になっています。

なぜ、そうなるのか。アイオワ州やニューハンプシャー州など予備選段階の最初に争われる州での早期の選挙運動が大きな影響を与えるためです。予備選段階の最初に開かれる党員集会や予備選挙で健闘すれば、全く無名の候補でも一気に知名度は一気に高くなります。つまり、誰にもチャンスがあるため、できるだけ早めに選挙戦を開始しなければ負けてしまいます。この思いから選挙運動の開始がどんどん早くになっており、支持率だけを争う「影の予備選(シャドー・プライマリー)」が選挙開始の1年以上前から白熱します。

「予備選の民主化」と「候補者中心選挙」

長い選挙が始まったのは、1976年選挙でした。その年、全く無名のジョージア州知事のカーター氏が選挙年の前年から、アイオワ州やニューハンプシャー州に乗り込み、地道な選挙運動を続けてきました。実際にアイオワ州で2位、ニューハンプシャー州で1位と両州で大健闘しました。その時、アメリカのメディアは「ジミーとは誰だ(Jimmy, Who?)」と連日大きく報道し、カーター氏の知名度も高くなっていきました。その後もブラウン氏(当時のカリフォルニア州知事で、長年のブランクの後、再び2011年から2019年1月まで同州知事)ら大物ライバルを破って、民主党の指名候補を獲得しただけでなく、現職のフォード大統領を破りました。

それでは、この年に何が変わったのか。それは予備選そのものの民主化が進んだためです。それまで「キングメーカー」として、候補者選定に強い影響を与えていた、各州の政党主導部の力を削ぐ改革が導入されました。

それまでの予備選段階は前述の「党員集会」ばかりであり、地元の名士でもある各州の政党主導部のお気に入りの候補者が選ばれていました。しかし、あまりにも大統領候補の選出方法が不透明であるという批判が高まっていました。

そして、改革の大きなきっかけとなったのが、シカゴで開かれた1968年民主党全国党大会でした。この大会では、ベトナム戦争への反戦を唱えたマッカーシー氏やマクガバン氏の人気が高かったのですが、政党主導部の意向でそれまで立候補すらしていなかった当時のハンフリー副大統領が突然、指名候補になってしまいました。この選出方法をめぐって全国党大会会場外で暴動が起こり、逮捕者まで出ました。その時の反省から予備選段階の民主化が進み、導入したのが、通常の選挙の「予備選挙」であり、「党員集会」の数は一気に減りました。

当然、候補者を決める際の党のリーダーの影響力は少なくなります。同時に、候補者が自由に選挙戦を行う「候補者中心選挙」となっていきました。「候補者中心選挙」とは、結局のところ、有権者に自分をいかにうまく見せるかに他なりません。つまり、テレビを中心とするメディアに自分をいかにうまく取り上げされるかがポイントとなります。

そして、政党に替わり、メディアが候補者選定に決定的な影響を与える「キングメーカー」になっていきました。それが現在に至ります。そもそも「候補者中心選挙」でなければトランプ大統領は登場しなかった、といえば分かりやすいかもしれません。

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