はじめに

新研修医制度、「下っ端」期間が3倍に

2004年度、新研修医制度が始まりました。新人医師は2年間、特定の医局には属さずに「内科→小児科→精神科」と多数の科をローテーションすることになりました。同時に、研修医の時間外労働は厳しく制限されることになりました。その結果、2003年度卒業医師は雑用まみれの下っ端期間が、事実上3年間に延びました。でも、この頃はまだ希望がありました。「2年間耐えれば、以前のように新人医師が入ってくる」と、園田先生や外科医局の同僚たちは信じていたのです。

新専門医制度の流れ

地方外科医、冬のはじまり

2006年春、2年間の総合研修を修了して大学病院に就職した若手医師は、塩野先生のように明らかに先輩とは異質な若者でした。「9-17時勤務、週休二日」の自由な2年間を過ごした後で、外科のような多忙科を選ぶ若手医師は激減しました。

入局した数少ない若手外科医も、「指導医から叱責」で突然辞める……も珍しくありませんでした。この頃からインターネットによる医師転職サービスが発達したので、突然辞めた医師も次の仕事探しには困らなくなってきたのです。

ネットの発達で、外科医局のブラック労働は広く知られるようになり、若手医師は地方医大よりも都会を目指すようになりました。そして、B医大のまどか先生のように、園田先生の「下っ端生活」は、まだまだ続くのでした。

「変わらない患者数」「入らない後輩」

卒業後10年がたち、園田先生は中堅と呼ばれる年代となりました。園田先生はE県立病院に出向し、外科副部長としてバイパス手術など高難度な手術も執刀する一方で、相変わらず新人のような雑用もこなしています。患者数は変わらず、「インフォームド・コンセント」「患者の権利章典」など、手術のための書類は増える一方です。会議も増え、「外科統括部長」「診療部長」「副院長」のような50、60代の管理職医師も増える一方だけど、外科には後輩が入りません。県立病院は典型的な年功序列組織なので、「当直月15回」の園田先生の給与が、「当直ゼロ」の管理職を上回ることはありません。当時、「年俸2000万円、窓際で昼間から新聞を読む管理職医師」は、「Windows 2000」と呼ばれていました。

また、園田先生は大学病院に勤務していた頃に、ネット婚活で出会った女性と結婚しました。新婚時代は県庁所在地で過ごしましたが、今の病院は北関東の隅、猪や鹿が出没する地域にあります。E県立病院への出向が決まった時、築40年の病院官舎を見た奥様は、速攻で子どもを連れて横浜市の実家に帰ってしまいました。「家族で一緒に暮らしたい」と何度かメールしましたが、弁護士経由で「夫にネグレクトされたので別居希望」「月25万円の婚姻費用を請求」の書類が返送され……それ以来は単身赴任です。