はじめに

困難期こそ中等教育を共にした結びつきが必要

<モリの目>(森上展安)

100年の歴史を持つ学校、約100校という数字を示してもらうと、改めて文化資産としての学校の重みを感じます。

タカの目さんが示して下さった3つの波のうちの2つの波(明治と大正に設立された私学)が100年を迎えたわけで、一世代30年とすると三世代を経た学校が約100校あるということですね。

戦前に設立されたこれらの学校は戦後の新しい学制で「大学成り」したケースが多かったわけですが(旧制高校が新制大学となりました)、核は中等教育だということも再認識できるのではないかと思います。

現在コロナ禍で日本のみならず世界的な困難がもたらされていますが、こうした危機がある度に私たち一人一人の紐帯、連帯のよすがとなるのが中間組織と言われていて、その中でも学校仲間とりわけ中等教育を共にした結びつきは最も強いものの一つと言ってよいと思います(なお中等教育は何らかの宗教的バックボーンに相当する精神性が柱としてあります)。

中でも最も成功したと言われているのが旧制高校で、官立の他に東京には私学で七年制高校として人気を博した成蹊、成城学園、武蔵があり、今は私学となった学習院など。旧制高校は帝大に進学できるチャータースクール(特権校)でしたから、旧制中学からその旧制高校に無試験で進学できるというメリットを訴求できたことが大きい。しかもこれらの校風は大正というリベラリズムの時代精神が息づいていました。

近代日本をリードしてきた中等教育

それに先立つ明治の中等教育をリードしたのは、タカの目さんも指摘されている築地居留地に出来たいわゆるミッション系の学校ですね。その多くは女子の中等教育を実現したもので、いわゆるリベラルアーツの諸科目を習いました。大正期に広がったとタカの目さんが書かれている女子の実学教育と異なり、アーツ&サイエンスから出発しているところが特筆すべき点です。

近代の学校は近世の知識階級が担い手になります。近世の知識階級とは僧侶と武家でしたから、仏教系の私学や藩校郷校など儒教の徳目もしくは蘭学塾の流れをバックボーンにした私学などが明治期に多く生まれました。

タカの目さんの挙げた慶應義塾は適塾に学んだ福沢諭吉が創設し中等教育はイギリスのボーディングスクールを範としました。早慶と並び称される早稲田は高等教育機関中心が長く、中等教育機関の系列化は結構最近です。