はじめに

加害者の処分はごくわずか

――暴力をふるった指導者に対する処分が、異様に少ないのも気になります。今回の調査結果では、加害者に処分があったのはわずか7%。実際、指導者の暴力によって半身不随にさせられたり、自死してしまった場合ですら、刑事はおろか民事訴訟でも不問に処されることが多いと。なぜですか?

「スポーツ界で行われていることを法律で杓子定規に測るべきではない(測れない)」といった考えがあるからです。

例えば、柔道で暴力的指導による死亡事故があったとすると、「柔道の正しい指導のあり方とは何か」が裁判の争点になる。こうなると「技をかけずに柔道の指導なんかできないじゃないか」と反論され、では、その技が適切であったかという非常に専門的な議論に持ち込まれてしまう。裁判官が適切に判断できる話しではないと、相手に逃げ込まれてしまう可能性があるわけです。

結果、不当に指導者が免責されてしまう。スポーツの社会的影響が大きくなり、徐々に見直されてはいますが、非常に不健全です。司法の場がもっと踏み込んで行かなくてはいけない部分です。

※注)オンラインアンケートの回答者で、子どものときにスポーツをしていたなかで暴力を受けたと答えた人のうち加害者に何らかの処分があったとしたのはわずか31人(7%)だった。

――処分について報告書の中でも戦慄したのは、性虐待の件です。ある著名な元プロサッカー選手が監督として女子選手を指導した際、10代の選手を含めて性虐待を行ない、有力な証拠もあった。にも関わらず、「元・一流選手だから」という理由で、他の指導者や選手が公表に反対。結果、指導者への忖度のために、当人は監督のライセンスを保持したまま、いまだに、よりによって小学生の指導を続けているという事例です。

性虐待もまた、訴えたとしても、「スポーツで指導する時に身体を触らざるを得ないんだから、セクハラじゃない」みたいなことに持ち込まれやすい。

「触る必要はない」ということや何がセクハラなのか、行き過ぎた指導もしくは正しい指導とは何かを競技団体などがもっと明確に打ち出す必要があります。

「あなたの基準では虐待じゃないかもしれないが、公式基準では違う」と裁判官も安心して審査の拠り所にできる基準、スポーツ庁のガイドラインなどの充実が求められます。すでにFIFA(国際サッカー連盟)は昨年「FIFA Guardians」というガイドラインを出し、何がセクハラなのかということは明確にしています。

――スポーツ指導の改革は、2013年から2019年にかけて、すでに国の主導で行われたはず。でも、暴力もセクハラも減った様子はありません。

その理由は実は単純で「価値観の共有」をしなかったからではないかと思います。価値観の共有とは、「何のために、この改革をするのか」という一番根っこの部分の確認です。事件としてスキャンダル化すると、目先の火消しに走りがちです。とにかく対処しましたよということで、「相談窓口を設立しました」とか「暴力撲滅宣言」など分かりやすい形で解決したことにしようとしてしまう。

これらも意味がないわけではありませんが、相談窓口を設置するにも、何のために作るのか。目的や価値観をスポーツ界全体でしっかり共有してから設置しなければ、窓口に行ってもよく知らない弁護士が出てくるだけで、「本当に解決する気があるのか・解決してくれるのか」ということにもなってしまいます。

※注)2012年に大阪市立桜宮高校のバスケ部員が指導者の暴力を苦に自死。続いて女子柔道の代表選手が監督からのパワハラを告発するなど事件が続出。オリビックの招致活動をしていた時期だったこともあって、「スポーツ界の未曾有の危機」として当時の文科大臣が改革に乗り出した。