はじめに
ビジネスとカルチャーの微妙な関係
ただ、先述のルルレモンが文化搾取で問題になったように、カルチャーとビジネスは水と油です。場合によっては反発し合ってしまう、とても繊細な関係なのです。
最近の例では、アーティストのカニエ・ウェスト(改名して、「ye」さんになってしまいましたが!)がアディダスと揉める事案がありました。彼は、アディダス傘下でYEEZYというブランドをプロデュースしてきたわけですが、アディダスの経営幹部に多様性がないことを理由に、自分が取締役になるまで、ナイキを身につけると公言してしまっています。
アディダスのブランドをつくっている張本人が、ナイキを応援すること自体、まさにトリックスターのカニエ的ですが、マーケターとしては、深く考えさせられる事例です。
シュプリームも、かつてスケートボーダーコミュニティの人たちとの間で軋轢がありました。2017年の秋冬のコレクションで、シュプリームは高級ブランドのルイ・ヴィトンとコラボをした商品を発表したのですが、それに対して「ストリートカルチャーに対するハイブランドによる文化搾取だ」と批判が集中し、波紋を呼んだのです。
たしかに、これまでスケートボードなんて全く興味のなかったハイブランドが、ストリートにズカズカとやってきたとしたら、スケートボードを楽しんでいる人たちからすると、違和感が大きいのは納得できます。
だからシュプリームというブランドに対して、スケートボーダーたちから「そういうことしていいんだっけ? 今まで一緒にやってきたのにさ」とブランドとしての立ち位置が問われたわけで。
ただ、一方で、シュプリームのようなビジネス側のプレーヤーが、スケートボード文化を底支えしてきた側面も一部あるんですね。
常にビジネスとカルチャーは、緊張関係と協力関係の間で揺れているわけです。
だからこそ、スケートボーダーのコミュニティのことをわからないマーケターが、話題性を目的に、安易に行動してしまうと最悪です。カルチャー側も下手にやってしまうと、みんなから「あいつは大金に目が眩んで『セルアウトしたな』」とバカにされるのです。
カルチャーへのリスペクトやリサーチを忘れてはいけない
スケボーに関して、面白い事例がもうひとつあります。
ロンドンにSelfridgesという、ハイブランドを多く取り扱っている老舗の百貨店があります。最近は、ハイブランドもストリートカルチャーのトレンドを取り入れたカジュアルなラインを出していることもあり、Selfridgesにとっても、客層を若返らせて、なるべく「若いイケている子たち」に来店してもらうことが至上命題になってきています。
新スタイルのブランドを扱う百貨店として「若者を惹きつける何か」が必要になってくると考えたSelfridgesは、 思い切りのいいことに、百貨店のフロアの一角に、なんとスケートボード場をつくってしまった んですね。
日本だと、あまり想像できないですけど、高級デパートの売り場にスケートボード場が併設されているわけです。
しかし、当初は批判もかなりあったようです。シュプリームの話と同じで「大資本がストリートカルチャーを搾取しているのではないか」という声が上がったのです。「スケボーはマーケティングの手段ではない」という意見もあったそうです。
そこで、 Selfridgesは「女性のスケートボーダーも安心して練習できる場所にする」という約束を、スケートボーダーたちとすることで、計画の実施にこぎつけました。
たしかに、女性のスケートボーダーも増えている中、ストリートで練習していると怖い目に遭うリスクもありますよね。
練習場が百貨店の中であれば、安全に練習できるので、結果的に「文化に貢献するのではないか」という視点で両者は折り合いをつけたのです。
これは、百貨店側の人と、スケートボーダーの当事者との直接の対話によって実現できた、いい施策だと思います。これを、ただ乱暴に「若者の文化を取り入れてマーケティングしよう」という発想だけで、強引に実施したとしても、うまくはいかなかったでしょう。
ここは、本当に力関係が難しいところですが、 ビジネス側の論理でカルチャーを“支配”したり、“買収”しているように見えたら、そのブランドは終わりです。 大きな反発を受けます。公園や海岸のネーミングライツを巡ってしばしば起こる軋轢も同じ話です。
これからのブランドエンゲージメントを企むマーケターは、ビジネス視点だけでなく、自分たちが扱っているブランドが、どのようなカルチャーと接点を持っているのか、そして、そこに何が貢献できるかを考えることが必要になりますね。
最近は「インフルエンサーとコラボ」という言葉が使われがちですが、インフルエンサーこそ、カルチャーサイドに根ざした人が多いわけです。
そのインフルエンサーの背景まで、しっかりとリスペクトして理解していなければ、おそらくとってつけたような、つまらない施策になるだろうし、インフルエンサー本人にとってもリスクになります。
私はカルチャーへの理解やリサーチこそが、これから非常に重要になると考えています。