はじめに
マルサの意外な誕生秘話
伊丹十三監督の映画「マルサの女」によって、すっかり有名になった国税庁のマルサ。
「マルサ」とは、脱税の摘発を専門とする、国税局査察部の別称です。査察部の「査」を丸で囲んで表記したことからこう呼ばれるようになりました。このマルサが、なぜ生まれたのかをご存じでしょうか?
終戦後、もっとも多く行われていた脱税は、「密造酒を販売する」というものです。酒の製造には免許が必要であり、酒はつくった時点で脱税として扱われます。
戦前は市販の酒がたいへん高価だったので、自宅で飲む程度の酒は、一般家庭でもつくられていました。ただ小規模な脱税に対しては、当局もそれほど目くじらを立てることはなかったようです。
しかし戦後の混乱期になると、大規模な酒密造業者が増加します。もともと酒は高価で買えなかったことに加え、免許を持つ業者も戦争の被害を受けたことで製造量が落ち、供給不足となっていたのです。そのため、酒を密造して売りさばく者が続出しました。
その方法は、大がかりで悪質でした。中には、村単位で酒の密造をした地域もあったそうです。
前述したように、戦前の日本では酒税が税収の柱となっていました。が、密造酒の弊害は、税収が減るというだけではありません。
当時は、酒の原料となる米や麦自体が不足していました。酒の密造業者が増えると、食糧問題にもなったのです。
また密造酒では、工業用アルコールやメチルアルコールなどを使った粗悪品なども出回ります。健康を害する人も少なくありませんでした。
税収の確保だけでなく、社会問題の解決のためにも密造酒の摘発が重要だったのです。
当時は人心がすさんでおり、脱税者たちが当局の意向をおとなしく聞くようなことはありません。密造酒の取り締まりは困難を極めました。
取り締まりにきた税務署員を袋叩きするなどは日常茶飯事。一応、警察に応援も頼めますが、それも限りがあります。当時の密造酒の取り締まりは命がけであり、実際に殉職する税務署員が出たほどです。
そこで、当局は密造摘発のための専門部署を設けることにしました。このとき国税局の中につくられた国税犯則監視課が、マルサの起源なのです。村単位で密造を計っていた地域に対しても「特定集団密造地域」に指定し、取り締まりを強化しました。
戦後の混乱期に跳梁跋扈した酒密造業者達は、食糧事情と社会が安定するとともにほぼ消滅しました。現在では、酒は密造するより買った方が安いので、酒税逃れのための密造などはなくなっています。