前回の連載第18回の記事では、生まれたばかりのイギリス東インド会社(※通称EIC)がギルドのような組織だったこと、そして、ピューリタン革命と王政復古を経て、株式会社へと姿を変えたことを書きました。さらに1664年には複式簿記が導入されました。

それではイギリス東インド会社の経理・財務はどのようなものだったのでしょうか?

残された帳簿の数々

これはオランダ東インド会社(※通称VOC)にも言えることですが、EICのような大企業の特徴は史料の豊富さにあります。ロンドン本社の各部門の記録はもちろん、世界中の商館から本社に届いた書簡、理事会の議事録、そして帳簿の数々が残されています。企業の帳簿ほど、当時の経済を――ひいては、人々の暮らしを――今に伝えるものはないでしょう。

EICで複式簿記が導入されたのは1664年8月、同社が解散したのは1870年です。この200年以上の長期にわたり、EICの社員は帳簿を付け続けました。ロンドン本社の元帳39巻と、元帳に対応する普通仕訳帳56巻が現存しているそうです。それぞれ約100ページから数百ページに及ぶ、分厚い帳簿です。

単式簿記から複式簿記に切り替えたのですから、当然、混乱があったでしょう。

複式簿記の導入以前には「元帳A」と呼ばれる帳簿が使われていたようですが、これは現存していません。導入後の「元帳B」「元帳C」では試行錯誤的な運用が見られるそうですが、間違いを修正しながら、最終的には複式簿記の要件を完備するようになりました。

なお、元帳B、Cの記帳期間は約7ヶ年。現代日本の金融機関がシステムの更新に何年も苦戦していることを考えると、17世紀当時としては意外にも手早く複式簿記の導入に成功したように思えます。

この時代の帳簿には、「商品名商品勘定」や「人名勘定」が登場します。

現在の複式簿記では、商品なら「商品/仕掛品/原材料」などの勘定科目が使われています。一方、この時代にはコショウやミョウバン、毛織物などの商品名そのものを勘定科目として用いていました。これが「商品名商品勘定」です。

「人名勘定」も、考え方は似ています。現在の複式簿記では、債権債務には「売掛金/買掛金/貸付金/借入金」などの勘定科目が使われています。一方、それら債権債務の対象となっている人物名そのものを勘定科目として用いるのが「人名勘定」です。

商品名商品勘定や人名勘定の歴史は古く、ルネサンス期の北イタリアで複式簿記が完成する以前から使われていました。もっと言えば、産業革命華やかなりし19世紀になっても使われ続けました。複式簿記の基本的な仕組みは変わっていないとはいえ、それが現代の私たちにも馴染み深い姿になったのは、意外と最近なのです。