はじめに
60歳で定年退職するAさんは、継続雇用ではなく、知人の会社で業務委託として働く道を選びました。手元の退職金の一部を年金形式で受け取り、起業の経費と相殺できると考えていましたが...。
退職後の業務委託に際し「退職金はどう受け取るべきか?」
「退職金って、一括でもらうのと年金形式でもらうの、どっちが得なんでしょうか?」
まもなく定年を迎えるAさん(59歳)が、筆者の元に相談にこられました。大手メーカーに勤め上げ、最後はマーケティング部門の部長として活躍してきた方です。退職金の受け取り方法について、面談を希望されました。
Aさんとの出会いは4年前のコロナ禍の頃。55歳を過ぎて、年金をどのくらい当てにできるか、どのくらいの生活レベルなら金銭的に生き延びることができるのか、ご相談をいただいたのが始まりでした。
Aさんには、継続雇用の選択肢もありましたが、退職後はもっと自由に、自分の裁量で働いてみたいという思いがありました。そんなとき、古くからの知人から「うちの会社のマーケティングを手伝ってほしい」と声がかかります。ただし、雇用ではなく、業務委託という形での依頼でした。
「年金形式で退職金を受け取りつつ、仕事も請け負う形なら、事業が赤字になったときに年金と相殺できると思っていて…税金もちょっとは節約できるでしょうか」という質問です。ちなみに、Aさんには、退職金が3つの制度から支給される予定です。
- 退職一時金
- 確定給付企業年金(給付額があらかじめ決まっている年金制度、以後、DB)
- 企業型確定拠出年金(掛金を自分で運用し結果に応じて給付額が決まる制度、以後、DC)
この中でも、DBとDCを「年金形式」で受け取っておけば、業務委託での収入が赤字になったときに相殺できるのでは、と考えていたようです。
退職金を年金形式で受け取っても、経費とは相殺できない理由
「年金で生活費をまかないつつ、仕事の経費がかさめば、トータルで節税できますよね?」
Aさんのように、退職後に業務委託(起業を含む)して働く方の間では、こうした“退職金の受け取りと経費のバランス”に関心を持つケースが増えています。
結論から言うと、年金形式で受け取った退職金そのものを、直接的に事業の経費と「相殺」することはできません。筆者はそうお伝えし、税務上の「所得区分」と「損益通算」の話をしました。
Aさんが受け取ろうとしているDBやDCは、年金形式で受け取る場合、いずれも一定の要件を満たせば「公的年金等」に該当する雑所得として扱われます。一方、業務委託契約での報酬は「事業所得」に該当します。
雑所得と事業所得は異なる所得区分ですが、税法上、事業所得の赤字がある場合には、公的年金等に該当する雑所得の黒字と損益通算することが認められています。
ただし、年金収入には一定の控除が適用されるうえ、そもそも赤字額が小さい場合や、他の所得との関係によっては、損益通算による節税効果は限定的です。実務的な効果はケースバイケースであるため、慎重な試算が必要です。
「雑所得」と「事業所得」はあくまで税務上は別のカテゴリーですが、損益通算の仕組みにより一部交差する場面があることは、知っておくべきポイントです。
Aさんは残念そうに言いました。「じゃあ、私の場合は、事業の収支とは切り離して、年金は年金、仕事は仕事で考えるしかないわけですね」
その通りです。ただし、使い方次第では、退職金の税優遇を最大限活かすこともできます。