帰国後のダーウィン

若いころは狩猟好きで活動的だったダーウィンですが、帰国後は徐々に体調を崩すようになりました。

どうやらビーグル号での航海中に、熱帯のシャーガス病を始めとしたさまざまな病気をもらってきてしまったようです。父の死没に先立つ1842年、ロンドンの汚い空気から逃れるため、郊外のダウン村に居を構えました。コッホが炭疽菌や結核菌を発見するのは1870~80年代ですから、ダーウィンの時代には大半の病気が原因不明であり、手の施しようがなかったと言っていいでしょう。

ダーウィンはダウン村の外には滅多に出ず、ロンドンにもあまり足を運ばなくなりました。彼には、しばしば「厭世的で世捨て人」「気難しい変人」というイメージが付きまといます。おそらくこのイメージは、ダウン村に引っ込んでしまったがゆえに生まれたのでしょう。

ダウン村のダーウィンの自室には、門扉を見張る鏡があったそうです。来客に素早く気づくための工夫ですが、一説によれば、進化論について研究していることを秘密にするためのものだったとも言われています。危険な来客があったときには、研究ノートやメモを隠せるようにしていたというのです。

帰国直後の1837年には、彼はすでに進化論を着想していたようです。しかし、それを発表するのは当時のイギリスでは危険すぎました。進化論――生物が他の種の生物へと変化する――という発想そのものは、実はダーウィン以前からありました。有名なのは「用・不用説」で知られるラマルクの進化論でしょう。ところが、それらは危ない革命主義者の発想であり、ダーウィンのように地位と分別のある紳士が語るべきアイデアではなかったのです。

ダーウィン進化論の特徴

ダーウィンの進化論には、それ以前のものにはない3つの特徴があります。

特徴1:枝分かれ進化

第一に「枝分かれ進化」を考えたこと。ご存知の通り、私たち人類はチンパンジーから進化したわけではありません。約500万年前に共通の祖先から枝分かれして、別々に進化してきた兄弟のような関係です。現在ではあまりにも当然になりすぎて見過ごされがちですが、この「枝分かれ進化」はダーウィンの発明でした。それ以前の進化論では、魂のレベルが低い植物や虫のような存在から、よりレベルの高い哺乳類や人類のような存在へと、はしごを一段ずつ登るような進化が考えられていたのです。

特徴2:内在的な意思・方向性の否定

第二に、内在的な意思や方向性を否定したこと。それ以前の進化論では、すべての生物には「より高次な存在になりたい」という欲求のようなものがあり、それが進化をもたらすと考えられていたそうです。ところが、ダーウィンはそれを否定しました。

「より多くの子孫を残せた形質が、より広まる」という単純なメカニズムによって、種の進化を説明したのです。これにより進化論は純粋に科学的なものになり、スーパーナチュラルな要素を失いました。

特徴3:宗教的背景とは無関係な理論

第三に、宗教的背景とは無関係な理論を打ち立てたこと。はしご状進化における魂のレベルにせよ、生物の内在的な意思にせよ、現代日本人の私から見ればオカルトそのものです。しかし、ダーウィンの理論にはこれらが含まれていませんでした。

また、イギリスでは18世紀からペイリーの『自然神学』が研究されていました。ざっくり言えば、神が創造した自然について研究すれば、神のみこころが分かるはず、という神学です。自然の美しさを愛でることが、信仰を深めることにも繋がると考えられていたようです。ところがダーウィンの進化論が描き出したのは、多数の敗者のうえに少数の成功者が生き残るという殺伐とした自然の姿でした。

これが当時のイギリス人の反感を買わないはずがありませんでした。ダーウィンが『種の起源』を発表したのは1859年。進化論の着想から、実に20年以上が経っていました。それだけ時間をかけてたくさんの証拠をかき集めなければ、危険すぎて発表できなかったのです。