はじめに
「割り勘」の歴史は新しい
ところで言葉としての「割り勘」の歴史は、実はそんなに長くありません。
そもそも割り勘が「割前勘定」の略であることを、みなさんはご存知でしょうか? 経済が経世済民などの略であるように、割り勘も割前勘定の略なのです。トリビアとして知っておくと、誰かに自慢できるかもしれません。
割前勘定のうち「割前」(割り前)とは、「それぞれに割り当てた額」のこと。一人前が一人分の量、分け前がそれぞれに割り当てた量であるように、割り前とはそれぞれに割り当てた額を意味するわけです。
『日本国語大辞典』(小学館)によれば、均等割を意味する割前の初出が1737年のこと。割り勘を意味する割前が登場する時期が1860年のこと。割前勘定の初出が1867年のこと。その略語である割勘の初出が1925年のことでした。
つまり割り勘を意味する諸概念は、江戸時代から昭和初期にかけて、じっくり浸透していったことになります。このうち「割り勘」という表記に限定していえば、おおむね昭和初期に普及したばかりの新表現なのです。
「兵隊」はなぜ引き合いに出されたのか?
さてそんな昭和初期に、割り勘を表すため「兵隊」も引き合いに出されていたことがあります。
例えば広辞苑には「兵隊勘定」という項目が存在します。説明文には「数人で飲食した代金を各自均等に負担して支払うこと。わりかん」とありました。そして日本国語大辞典では、兵隊勘定の略称として「兵隊」という言葉まで載せています。つまり「割り勘にしよう」と表現できる場面で「兵隊勘定にしよう」とか「兵隊にしよう」という表現も可能だと、これらの辞書は言っているわけです。
実際、大正末期~昭和初期に生まれた人にとって、この表現は一般的であったようです。例えば北海道新聞の1992年10月18日付け朝刊に載った読者投稿にはこんな文章が登場しました。選挙違反を諌める文脈で「親ぼくをはかる一杯の酒を責める気持ちはないが、酒を飲み、飯を食うのは『兵隊勘定』がいいと思う」との表現が登場したのです。投稿者は当時67歳の男性。生まれはおそらく1925年(大正14年)でしょう。
割り勘が何故「兵隊勘定」と呼ばれたのか、については諸説存在するようです。一説には「いつ死ぬか分からない境遇なので、いつ何時も、貸し借りが生じないようにした」とも言われます。また異説では「兵隊は足並みを揃えるため」とする理由もあるようです。いずれもケチとは少し異なる理由付けではありますが、「引き合いに出される」という意味ではDutch treatや京伝流などと同じ構造を持っています。
次に引き合いに出されるのは誰?
ということで今回は「割り勘」について徹底的に分析してみました。外国語における割り勘表現でオランダ・アメリカ・ドイツなどが引き合いに出されたように、日本語における割り勘表現でも山東京伝・兵隊といった人物が引き合いに出されたことになります。総じて「割り勘は本来自分たちのやり方ではないのだ」という言外の主張が感じられて、非常に面白く思っております。
今後も長く続くであろう各言語の歴史でも、ひょっとしたら、これまでとは異なる誰かが引き合いに出されるのかもしれません。