はじめに
「利益三分主義」鳥井信治郎
鳥井信治郎(1879年~1962年)はサントリーの創業者として知られる人物です。1899年に鳥井商店を起業して、1921年に株式会社寿屋を設立。1929年にウイスキーのブランド名として「サントリー」の名前が登場し、鳥井の没後である1963年に社名をサントリーに変更。現在のサントリーホールディングスにつながっていきます。
この鳥井の遺した精神として「やってみなはれ」(果敢な挑戦精神)と共に知られるのが「利益三分主義」という考え方です。これは事業で得た利益を「事業への再投資」に使うだけでなく、「得意先・取引先へのサービス」や、さらには「社会貢献」にも役立てようとする考え方です。
そもそも鳥井は、困っている人を見ると放っておけない性格だったのだそう。鳥井商店の時代にも、毎年、年の瀬になると餅をついて生活困窮者へ配って回っていたといいます。
このような鳥井の「個人的取り組み」を本格的に組織化したのが、1921年に設立され現在でも活動が続いている社会福祉法人「邦寿会」(ほうじゅかい)です。現在でいう大阪・あいりん地区で、生活困窮者を対象とする無料の診療所を開設したことが始まりでした。邦寿会は現在でも高齢者福祉、乳幼児教育に関する活動を行っています。
「営利と社会正義の調和」松下幸之助
パナソニックの創業者である松下幸之助(1894年~1989年)は「経営の神様」との異名でも知られますね。
彼が松下電具製作所を創業したのが1918年のこと。松下電器製作所への改称が1929年。松下電気産業として法人化したのが1935年のことでした。のちに国際的なブランド統一を目的に、パナソニックへの社名変更を行ったのは2008年のことです。
この歴史のうち松下電器製作所への改称が行われた1929年に、同社は経営理念を記した「綱領・信条」を制定しています。この綱領に「営利と社会正義の調和に念慮(ねんりょ)し、国家産業の発達を図り、社会生活の改善と向上を期す」という文言が記されていたのです(注:現在の綱領は「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」)。
当時の松下電器製作所は、電球ソケットや自転車用ランプの生産で事業が拡大していたたものの、まだ「個人経営の町工場」レベルの経営状態でした。そのような状況のなかで、松下幸之助が社会との関係性を大きく意識した綱領を定めていたことは注目すべきでしょう。
「商業十訓」倉本長治
倉本長治(くらもと・ちょうじ、1899年~1982年)は昭和に活躍した商業評論家。戦前には雑誌「商店界」、戦後には雑誌「商業界」(1948年創刊)の編集長として活躍した人物です。商業界は現在でも月刊誌としての発行が続いています。
その「商業界」が1966年に開催した第33回・商業界ゼミナールで発表したのが「商業十訓」でした。これは倉本が提唱した商業理念です(注:原型となる文言は1961年の「商業界ゼミナール誓詞」で登場していた)。
この十訓の冒頭にあるのが「一、損得より先きに善悪を考えよう」という言葉。つまりビジネスにおける社会正義の優先を訴える内容なのです。これはCSR(企業の社会的責任)の基本的概念とも一致する内容ですね。
この他にもCSRとの親和性が高い項目がありました。例えば「五、欠損は社会の為にも不善と悟れ」は、本来的事業の実現と、社会的な利益の一致を語っています。これら商業十訓は、現在でも多くの経済団体や企業の指針として生き続けています。
ということで今回は、江戸時代の前編、明治以降の後編に分けて、日本のビジネス界に伝わる商道徳の言葉を紹介してみました。CSR(企業の社会的責任)という言葉が普及するよりもはるか前から、国内でも商道徳を訴える数多くの言葉が存在したことを、お分かりいただけたと思います。
ただこのような言葉の存在は、商業と社会正義の両立がどの時代であっても非常に困難であることを、逆説的に物語っています。歴代の言葉が問いかける問題は「現代の問題」でもある、と言えそうです。