はじめに

商人の発言は「アテにならない」ということわざ

江戸時代以前、世間では「商いは卑しいもの」という考え方も広まっていました(参考:日本のビジネス界に伝わる商道徳の言葉~江戸時代のCSR探訪~)。そんな背景もあったせいでしょうか。ことわざの中には「商人の言葉がいかにアテにならないのか」を語ったものも少なくありません。

例えば《商人(あきんど)の空誓文(からせいもん)》や《商人の空誓文と女の怖いは皆嘘(みなうそ)》ということわざがあります。誓文とは誓いを記した文書のことで、空誓文は「偽りの誓い」ぐらいの意味。つまりこのことわざは「商人の言うことの中には、駆け引きや嘘も多いのでアテにならない」と述べているわけです。

一方、商人が語る「どんな話」がアテにならないのかを、具体的に述べたことわざもあります。

例えば《百姓の不作話と商人の損話》がそのひとつ。この場合、商人が語る「損話」はアテにならないと言っています。また《商人は損していつか倉が建つ》の場合は、平素から商人が語る「儲からない」という話がアテにならないと言っています。「そうやってボヤいていた商人が、知らぬ間に財を成しているではないか」というわけです。

商人の自己弁護と責任転嫁

アテにならない話は、まだ続きます。

《商人(あきんど)の空値(そらね)》や《商人の元値(もとね)》といったことわざは、商人の付ける「値段」がアテにならないと述べています。ちなみに空値は、実勢価格よりも高くつけた価格のこと。一方の元値は、仕入れ値のことです。つまり「商売人は『こんな価格では仕入れ値にもならない』とこぼすが、実際には実勢の小売価格より高く物を売りつけてくる」というわけです。これも辛辣な表現ですね。

以上のような商人の行いを現状追認するようなことわざもあります。例えば《商人の噓は神もお許し》がそう。商人の嘘はしょせん駆け引きなのだから、神様だってきっとお許しになるだろう――と言っているのです。

また《商人と屛風(びょうぶ)は直ぐには立たぬ》や《商人と屏風は曲がらねば立たぬ》なども、現状追認型のことわざかもしれません。現実には誠実なだけでは商売は成り立たず、客の機嫌を損なわないようにしないと繁盛はしない――言い換えると、客を立てるためなら、不誠実な行為も時には必要といっているわけです。これは商人が直面しがちな苦悩を、率直に語っている表現だと言えそうです。

まとめ~商売人が抱く「葛藤」が見える~

このほかにも商人関連のことわざには《商人の子は算盤(そろばん)の音で目を覚ます》(人の習性は環境により形作られる)、《商売は草の種》(商売の種類は、草の種の種類ほど豊富である)など面白いものが多いのですが、今回はここまでとしましょう。

今回紹介したことわざは、大きく分けると「商人・商売の心得」「商人の向き・不向き」「商人の言葉の信頼性」を語っていました。特に信頼性に関わることわざでは、商人に対する世間の厳しい視線が反映されていましたね。

もちろん商人や指導者の中には、以上のような厳しい視線の中にさらされながらも、崇高な商道徳を確立させた人もいました。そのことに注意する必要があります(参考:日本のビジネス界に伝わる商道徳の言葉~江戸時代のCSR探訪~日本のビジネス界に伝わる商道徳の言葉~明治以降のCSR探訪~)。

ともあれ今回紹介した数々のことわざと、バックナンバーで紹介した商道徳の言葉の双方から、商人たちの「理想と現実」を追体験しているような思いも抱いているところです。

参考:「学研 用例でわかる故事ことわざ辞典」など

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