はじめに

平成の歴史が終わろうとしています。本連載では前回、元号の話題を紹介しました。過去の改元事例のうち、経済的理由を契機とする改元について探った内容でした。それに引き続き、今回も元号を取り上げたいと思います。テーマは「元号入りの日本史用語」です。

日本史用語のなかには、その名称に元号を含む語もありますよね。山川出版社が発行する『日本史用語集』に登場する範囲だけでも、天平文化や元禄文化などの「文化」に関する用語、大化の改新や明治維新などの「政変」に関する用語、明暦の大火などの「災害」に関する用語、大宝律令や明治憲法などの「法律」に関する用語、延暦寺や慶應大学などの「施設」の名称、寛政暦などの「暦」の名称、平治物語などの「著作」の名称など、実にさまざまな用語が登場するのです。歴史的な物事と元号とをセットで覚えられるところは、元号の貴重なメリットかもしれません。

そしてそんな元号入りの日本史用語のなかにも、もちろん「経済」関連の用語が存在するわけです。


享保の大飢饉~飢饉の用語~

江戸時代によく登場するのが「大飢饉」(だいききん)に関連する用語です。飢饉とは、農作物の不作に伴う食糧不足のことを意味します。

歴史用語としてよく登場するのは、1642年(寛永19年)から1643年(同20年)にかけて起きた「寛永(かんえい)の大飢饉」、1732年(享保17年)に起きた「享保(きょうほう)の大飢饉」、1782年(天明2年)から1787年(同8年)にかけて起きた「天明(てんめい)の大飢饉」、1833年(天保4年)から1839年(同10年)にかけて起きた「天保(てんぽう)の大飢饉」の4つ。これらを総称して「江戸四大飢饉」と呼ぶ場合もあります。またこれ以外にも「元禄(げんろく)の飢饉」などの言葉も残っています。

このような飢饉は、事件の契機にもなりました。例えば享保の大飢饉の際には「享保の打ちこわし」(1733年、享保18年)と呼ばれる事件が発生。米価の高騰に苦しんだ江戸の町民たちが、米を買い占めていたとされる米商人の自宅を襲ったのです。

享保の改革~経済改革の用語~

もうひとつ江戸時代によく登場するのが幕政改革の用語です。

1716年(享保元年)に始まった「享保(きょうほう)の改革」、1787年(天明7年)に始まった「寛政(かんせい)の改革」、1830年(天保元年)に始まった「天保(てんぽう)の改革」がそれです。これらを総称して「江戸(幕府)の三大改革」と総称することもあります。いずれも政治・行政など様々な分野に及ぶ包括的改革ではあるものの、その中には「財政」や「経済制度」に関する改革も含んでいます。

このうち「享保の改革」は徳川吉宗が行った幕政改革。経済に関連するところでは、米価や物価の安定化、緊縮財政や増税(五公五民、定免法)による財政再建、貨幣改鋳(かへいかいちゅう=新貨幣の導入)による貨幣流通量の増大といった政策を実施しています。

また負債にあえぐ旗本・御家人を救済するため相対済令(あいたいすましれい)と呼ばれる法令も発布しました。これは金銀の貸し借りに関する訴訟を当事者間で解決するよう定めた法令のことです。

一方で後発である「寛政の改革」も「天保の改革」も、享保の改革における緊縮財政路線を踏襲した改革を行っています。

このうち寛政の改革を主導したのが松平忠信。経済に関係するところでは、諸藩に囲米(かこいまい)と呼ばれる米の備蓄を求めたり、旗本・御家人を救済するため棄捐令(きえんれい)と呼ばれる債務放棄・繰り延べの法令を発出したりしました。

また天保の改革を主導したのが水野忠邦。経済に関係するところでは、江戸にいる農村出身者を帰郷・帰農させることで税収増を狙う人返し令(ひとがえしれい)を発布したり、いまでいうカルテル制度であった株仲間を解散させたりなどの政策を実施しています。

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