はじめに

今年8月上旬、トルコリラの暴落という大きな出来事が起こりました。為替相場が米ドルに対して20%も下落したのです。この出来事は、巷間で「トルコショック」とも呼ばれています。その直接の引き金は米国とトルコの関係悪化とされていますが、そもそもエルドアン大統領の強権的な政治姿勢が、相場の重石になっているという指摘もあります。

今回、本稿のテーマに据えてみたのは、この「トルコリラ」です。この通貨を「言葉の観点」から分析して、ごく簡単にではありますが、トルコの通貨史を概観してみましょう。今回はその前編です。


トルコの通貨史(1)アクチェ→クルシュ→リラ

トルコの簡単な歴史を振り返るため、『ブリタニカ国際大百科事典・小項目版』(ブリタニカ・ジャパン)の「トルコ」の項目を引用しましょう。「東西交通のかなめで、古代からいくつかの支配の変遷があり、13世紀からはオスマン帝国領であったが、1923年10月29日、ケマル・アタチュルクによって共和国を宣言した」。ちなみに、ここで言う「支配の変遷」とは、具体的にはローマ帝国や東ローマ帝国などを指します。ともあれ本稿では「13世紀にオスマン帝国が成立して、20世紀にトルコ共和国が成立した」ことだけ注目しましょう。

さて、オスマン帝国以降のトルコで使用されていた通貨は、大きく分けて3種類ありました。

まず帝国時代の初期に登場したのが「アクチェ」(akçe)。直訳で「小さく白いもの」を意味する銀貨です。続いて1688年に登場した登場したのが「クルシュ」(kuruş)。これは直訳で「大きい」ことを意味する銀貨でした。そして、まだオスマン帝国の時代であった1844年に登場したのが、現行通貨名の「リラ」(lirası)となります。語源については後ほど。このリラのうち、帝国時代のリラはオスマンリラ、共和国時代のリラはトルコリラと呼ばれています。おそらくオスマンリラは、共和国成立後の命名でしょう。

余談ながら、2つめに登場した通貨名・クルシュは、現在でもトルコリラの補助通貨名として登場します(1トルコリラ=100クルシュ)。それだけでなく、かつてオスマン帝国の支配下にあったトルコ共和国以外の国(ヨルダン、サウジアラビア、エジプト、スーダン)においても、補助通貨名として使われています(例:1スーダンポンド=100クルシュ)。こんなところに、かつてのオスマン帝国の影響力を感じることができます。

トルコの通貨史(2)TL→YTL→TL

ところでトルコリラの歴史(つまり共和国成立以降のリラの歴史)は、より細かく、3つの時期に分けることも可能です。

その区分を追いかけるのに便利なのが「通貨単位の略記法」です。例えばタイの通貨単位であるバーツの場合、現地では1000バーツのことを1,000bt.などと表記します。そのbt.に相当する部分を、トルコリラの場合は「TL」と書き表します。例えば1000トルコリラの場合は1,000TLと表記するわけです。この略記法が、実は時代によって変わっていました。

まず登場した略記法がTLでした。これはトルコ語のTürk Lirası(テュルクリラス=トルコリラの意)を略した表記です。この略記のリラが流通したのは、共和国が成立した1923年から2005年にかけてのことでした。

続いて登場したのがYTLという略記。こちらはトルコ語のYeni Türk Lirası(イェニテュルクリラス)を略した表記。Yeniの部分は「新しい」を意味するので、全体を訳すと「新トルコリラ」という意味になります。このリラが流通したのは、2005年から2009年にかけてのことでした。

そして最後に再び登場したのがTL。すなわち、いったん導入したYTLをわざわざTLに戻して、現在に至るわけです。これは2009年の出来事でした。

それにしても「TLをYTLにして再びTLに戻す」というのは、少々ややこしい話ですね。このややこしさに一層拍車を掛けるのが、いわゆる「通貨コード」の動向です。

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