はじめに
かつて借款は「個人間の賃借」も意味した
余談ながら「借款」という言葉は、少なくとも明治時代から使用されていました(参考:日本国語大辞典)。しかしその当時の借款には「国家間の賃借」の意味のほかに、「民間・個人間の賃借」の意味もあったのです。平たく言えば「借金」のことです。
例えば、葛西善蔵の小説『奇病患者』(葛西善藏全集、改造社、1928年)には、こんな一節が登場しました(読み仮名は筆者が追加)。
「僕は昨日も、(いや今でも――)餘程[よほど]平松に借款を申込まうかと思つた。(多分彼は應[おう]じて呉[く]れるだらう)けれどもそれは、僕には出來ないことなんだ。」
ただ青空文庫(著作権の切れた文章を公開しているサイト)で「借款」を検索する限り、借款の主流である意味は、やはり「国家間の賃借」であったようです。例えば、張作霖爆殺事件の立案者・河本大作が著した(とされる)手記には次のような文章も登場します(私が張作霖を殺した、河本大作、文藝春秋1954年12月号)。
「楊宇霆(よう・うてい)はまた、日本の恩を忘れて、米国に媚態を見せて大借款を起こさんとしている」
そういえばこの時代の日本史用語には、国家間賃借の「借款」がたびたび登場します。よく知られるのは、寺内内閣が1917年から18年にかけて中国の段祺瑞(だん・きずい)政権に対して実施した「西原借款」でしょう(西原=にしはらとは、融資の仲介役となった西原亀三のこと)。これは日本が中国における権益拡大を目論んで実施した融資でした。しかし融資で提供された資金は段政権の政治資金・軍事資金として費やされたうえ、回収に失敗。国内で激しい非難を浴びました。
このような歴史的背景を知っていれば、円借款の意味も比較的容易に想像できると思うのです。しかし多くの現代人は(日本史に詳しい人は別ですが)以上のような歴史的背景に馴染みがありません。そういった事情が、円借款に対する理解を妨げているように思われます。
では借款の「款」って何だ?
円借款について、もうひとつ指摘しておきたいのが「款(かん)」という漢字のことです。この「款」は、一体どういう意味なのでしょうか。
いくつかの国語辞典は「借款」の項目内で「款の意味」についても説明を試みています。しかしその説明が、辞書ごとに見事にバラバラなのです。例えば広辞苑(第七版)は「契約の条項の意」、新明解国語辞典(第七版)は「誠・信用の意」、明鏡国語辞典(第二版)は「契約書の意」、日本国語大辞典(精選版)は「約束の意」といった具合。各辞書とも苦労している様子が伺えます。
それもそのはず。「款」には非常に多くの意味があるのです。例えば漢和辞典のひとつ「漢字源」(改訂第四版)に掲載されている「款」の意味は、なんと8種類もありました(まこと、よろこぶ、ひとまとまりの文章、ひとまとまりの金額、条文などの助数詞、開門を乞う、刻んだ文字、姓のひとつ)。また「新選漢和辞典」(ウェブ版)に至っては15種類もの意味を掲載しているのです。
意味が多い背景についてじっくり分析することも面白いのですが、私の手には余る作業でもあります。ひとまず本稿では、日本国語大辞典の説をとることにしましょう。もし「款」の意味を「約束」とするならば「借款=借りる約束」と解釈できることになります。
まとめるとODAとは「政府資金で行われる発展途上国に対する資金協力や技術協力」のこと。円借款とは「日本政府が途上国に対して円建てで融資すること」。借款とは狭義で「国家間の賃借」のこと。款とは(日本国語大辞典の説では)「約束」のこと、となります。対中ODA終了を機会に、これらの言葉の意味について覚えておくのも良いでしょう。