はじめに
大半は一代限りだった江戸商家
山室氏の分析によれば、江戸商人の事業継続年数は平均15.7年でした。
比率で見ると65%が15年以内に、87%が20年以内に商売を畳んでいます。つまり、大半の商家は「一代限り」だったのです。先祖代々の店を守り、子孫へと伝えていく――。
そんな商人像は、ごく一部の大店のみに当てはまるものだったようです。
また先述の通り、新規の株を申請しても簡単には発行されませんでした。一方、ほとんどの商家は一代限りでした。したがって、当時の人々はかなり頻繁に「株」の譲渡・売買を行っていたことが想像できます。
山室氏は、株の移動の記録1,567件について分析しています。
結果、移動事由の実に49%は「譲渡」、すなわち金銭による売買でした。休株になったものを後に誰かが引き継ぐケースが3%で、合計すると半分以上が赤の他人に株を売り払っています。新規の発行が16%、子孫への相続はわずか9%です。
非血縁的自由主義だった江戸商人の世界
封建社会では、人々は「生まれ」に縛られます。身分も財産も、世襲で受け渡されていくのが普通でした。しかし、江戸時代後期の商人たちの間では、株の金銭譲渡がごくありふれていました。平凡な子供に無理やり商売を継がせるよりも、商才に溢れた誰かに株を売ったほうが儲かる――。そんな計算があったはずです。
血縁主義に支配された当時の武家や農民とは対照的に、当時の商人の世界ではすでに封建社会が崩れつつあったのです。
ダロン・アセモルグとジェイムズ A ロビンソンは『なぜ国家は衰退するのか』のなかで、民主主義国家が誕生するための条件を提示しています。
まず、中央政府が存在しない地域では、マンガ『北斗の拳』のような世紀末的世界になってしまうため、民主主義は生まれません。一方、中央政府の権限が強すぎても民主主義は根付きません。議会と憲法を作るよりも、独裁者として振る舞ったほうが利益になるからです。人々は独裁者の地位を巡って争い合うだけです。
彼らのモデルによれば、人々を法に従わせるだけのそこそこ強い中央政府がありながら、それが独裁者を生むほど強くはない――。そんな歴史的にはかなり珍しい条件が整わないと民主主義は広がらないようです。
また、彼らに言わせれば、江戸末期の日本もその条件を備えていました。だからこそ明治維新以降、わりとスムーズに立憲君主制へと移行できたのだそうです。
たしかに江戸幕府は、私的制裁を禁じて奉行所のお沙汰に従わせるだけの権力を有していました。一方、(ヨーロッパのハプスブルク家のような)絶対的な強権を振るったわけではなく、各藩にはある程度の自治が許されていました。
日本が現代的な国家への移行に成功したのは、このような「お上」の話だけではないでしょう。当時の商人たちの世界では、非血縁的な自由主義の社会が生まれつつありました。下々の者の間でも、古い社会から脱出する準備が着々と進んでいたのです。
■参考文献■
【主要参考文献】
山室恭子『大江戸商い白書』講談社選書メチエ(2015年)